2019-08-30

80年代ニューヨークの思い出

今回のブログでは1980年代後半のニューヨークを回想したいと思います。

私は1988年にニューヨークへ渡った経験があるのですが、80年代後半といえばまだ治安も悪い中「ハーレム」という黒人街にひとりで住んでいました。

黒人街に住んでいた理由はただひとつ。黒人の音楽が大好きで、どんな生活のバックグラウンドからJazzやソウル、R&B、またはHip Hopといった音楽が生まれるのだろう?と疑問に思ったからです。

当時は今ほどイミグレーションが厳しくなく、メキシコや中国などからは多くの労働者がアメリカに仕事を求めて渡米をしていた時代。今だから言えますが、私もビザの有効期限が切れ、しかも仕事をしてはいけないビザにも関わらず、日本食レストランなどで皿洗いをして生計を立てていました。そして街にはドラックやアルコール依存症の人で溢れかえり、娼婦や麻薬の売人がストリートをウロウロしていた時代です。かなり突っ込んだ裏社会も見ることができましたが、そこまで暴露するのは今回はやめておきましょう。

そんな治安のニューヨークでしたが、町は活気で溢れ、特に多国籍な人種で賑わうマンハッタンはエネルギーに満ちていました。アメリカの田舎から出てきた若者、ヨーロッパの聞いたこともない国の出身者、南米やアフリカの奥地から来たという人まで、お互いがお互いの文化をリスペクトしつつも、人種間のケンカは常日頃より絶えることはありませんでした。

今だからこそ日本人はアメリカでも一般的な存在になりましたが、当時は英語が話せない東洋人を見ると「チン」(中国人を馬鹿にした言い方)と言われ、笑いものの対象でした。日本では人種差別的な扱いを受けたことがなかったので、驚きの連続。ハーレムでも人種的な屈辱を日常的に受けましたが、逆にそれは自分を強くしてくれました。

私の目的はただひとつ、大好きな黒人音楽のルーツを知ること。

当時のハーレムで素晴らしかったのは、とにかく町中が音楽で溢れかえっていること。ストリートを歩いていると車から聞こえる爆音の音楽。当時LL Cool JがBooming System(自分の車のサウンドシステムを自慢した曲)を流行らせ、誰もが車から爆音でベース音を響かせ走ってました。日本だったら逮捕されるレベルの音量です。家に帰ると隣人が、これまた爆音で流行りのR&Bを聞いており、それはマンションの基礎がギシギシ動くレベル。

サブウェイ(地下鉄)では、まだラジカセのでかいヤツを背負ってパブリックエナミーの「Fight The Power」を爆音で流している人がいました。これも日本だったら逮捕されるレベルの音量。その地下鉄はグラフティーや落書きですごいことになっていました。

発砲事件には何度も居合わせましたし、自分自身でさえ何度も街のギャングにボコボコにされました。血まみれになって家に帰ったことが何回あることか・・・

そんなニューヨークでしたが、今思い返すとトンデモなく楽しい時代だったと思います。理由はその日を精一杯に生きることができるから。おかしく聞こえるかもしれませんが、今自分が生きている瞬間、出会っている人、存在している場所が当たり前ではないと実感できるのです。日本で平和ボケで育った私には、この生きているエネルギーの強さが刺激的で心地よくさえ感じる。

1980年代後半のニューヨークは身の毛もよだつほどスリリングな場所でした。1988年~1993年の約5年間、10代でこのような貴重な経験ができた自分は本当にラッキーだったと思います。今ではそんな面影すらなくなった街ですが、日本人で唯一、80年代のストリートを経験したものとして語り継ぎたくなり、今回このようなブログを残しました。


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