小さい時に悟ったこと
わたしは不思議なことに、幼少期の頃に色々なことがわかってしまいました。
それは、以下の3つ
・今と言う現実のこと
・時の流れに任せること
・自分は自分でしかないこと
子供の頃はとてもおとなしい子だったと記憶していますが、感受性が強くてすぐに泣いていました。
子供の頃は心が白紙に近い状態ですので誰でもそうですが、大人の気持ちを見抜いたり察したりするのが得意です。子供は親や育ててくれる人に気に入られようと必死になるもの。
そんな中で幼少期の自分は必死に感じ、かんがえ悶(もだ)えていた。そうすると相手の考えていることが何となく感じ取れたり、あまたの中が読めるようになった。
人間関係とか、世の中のこととか、ボーッと遠くが見えてきた時、子供の自分はこんな風に考えるようになった。
・今と言う現実のこと
一瞬一瞬の自分の気持ちと向き合い、常に自分自身と会話をしていた幼少期。
「この瞬間」からは絶対に逃げられないことが子供ながらに分かった、と同時に目が覚めている間は、一瞬の連続が起き続けていることを知った。
10代になって、そんなことは忘れて生きてきたけど、ある程度の年齢を重ねた今、また思い出した。今という瞬間的な現実をしっかり受け止めることを。
・時の流れに任せること
小さいころからカトリックの教育を受けてきたからか?自分のチカラではどうにもならないことがあることを理解していた。
努力で人生は変わる。それも本当のことかもしれない。
でも、この歳になって「努力しても変わらないことがある」と考え直すようになった。
そもそも人生に努力って必要なのか?最近はもっぱらこの疑問の方が強い気がする。いっそのこと、やることをやっちまったら、あとは時の流れに身を任せる方が上手くいく気がしている。それが「運命」だから。
・自分は自分でしかないこと
小さいころの自分は、自分以外の自分になることが叶わないのか?と真剣に疑問を抱いていた。もちろん、なるわけはない。カエルの子はオタマジャクシ、ニワトリの子はひよこだよね。
ダメな自分も自分。可愛い自分も自分。誰かを夢見て真似をしても、結局ここに戻って来てしまう。
自分は自分以外の誰でもないと悟り、自分は自分以外の誰にもなれないことを知った。
今も基本的な考え方は変わらないけど、大人になって、ひとつだけプラスのアイディアを得た。
それは想像した自分に近づけるってこと。自分像って、真似るモノじゃなくて、想像して作るものだとわかった。
自分は自分でしかないけど、未来のなりたい自分は想像力で形成できる。これは紛れもない事実。「想像」で「自分像」を作るんだよ。
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