小さな判断
私は普段からマスクはしない派なのですが、今週の「マスク解禁」は誰よりもありがたく思っていたひとりでしょう。
マスクをしないと言っても、飛行機の中で意地を張って自分の主張を通すようなことは時間の無駄なので、そこは全然妥協する。公共機関や客室乗務員に迷惑をかけるようなことはしたくない。でも、ようやく解禁になったんだ。
で、昨日は久しぶりに都内の移動に電車を使ったんです。さぞかし皆さん、自由になって自分の意思でマスクを外していると思いきや99パーセントの確率でマスクを装着している。今週からマスクは任意では?と思ったのですが、そこは不思議の国日本。
そういえば、屋外でのマスクは不要と専門委員会がテレビでアナウンスした時もマスクを外している人が非常に少ないことに疑問を感じた。よく考えると当たり前なんだけど、外を歩いているだけで病気に感染するって、そんな確率は限りなく低い。
私は昨日はそもそもマスクを携帯してさえいなかったので、帰りの満員電車でも装着することもなかった。
私は電車内で一言もしゃべらないし、風邪をひいていないので咳もしない。そしてマスクは政治的にも解禁になり、個人の判断にゆだねられた。電車内は私だけじゃなくて、皆が同じ状況のハズ・・・ではどうして?
マスクをしている自分が好きなのか?息苦しいことに麻痺してきて何も感じないのか?もしかして家の中でもしてるの?いろいろな想像が駆け巡る。
この前、外国人の方が言ってた。日本に来ている旅行者は、日本はマスクをしないと「罰金」を科せられると言っていた。だから外国人はみんな日本に来たら法に従ってマスクをする、とのこと。私はそんな法律は聞いたことがない、と伝えると「じゃあ、どうして日本人は皆マスクをしているのか?」と逆に聞き返された。
もしかすると、これは同調圧力か?もしそうだとしたらバカバカしいにもほどがある
小さなことだし、どうでもいいと思っている人もいるかもしれない。でもね、たかがマスクを付けるか、外すかくらいの問題で自分の意思を示せないのだとしたら、人生最大の選択を迫られた時に自分の意思をハッキリ示せるのか、不思議になるんです。
周りの目を気にしたり、親の言うことを聞くとか、平均点の良い子ちゃんになることは自分の判断基準や意思表示とは全く関係がない。
判断はマスクだけじゃなく、昼ごはんに何を食べるか?とか食べないとか。何時までに仕事を終えるとか、仕事が終わったら誰と飲みにいくとか、なんでも同じ。
日頃の小さな判断の一つ一つが自分の人生を作っていることを忘れちゃいけないよ
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