アイヌと自分
先日、大阪の民族博物館へ行った時のこと。
世界中のあらゆる民族に関する資料を集めた館内にアイヌについて触れているコーナーがありました。私は北海道出身なので、子供の頃は少なからずアイヌ人を意識することが多かった。
今でも覚えていますが、学校の同じクラスにいたアイヌ人の男の子はとても物静かで、ほとんど会話をしない人でした。小学生なのに体毛が普通の大人の3倍くらい濃く、顔つきも独特でした。だからと言って彼をいじめたりする子はいなくて、逆に興味さえありました。ただ、彼は全然しゃべらなかったんです、自分のことを・・・
北海道で育つと、意識をしなくてもアイヌ文化とのつながりは深く、地名や自然に対する考え方などあちこちに影響を及ぼしていたことがハッキリわかります。私が昔住んでいた旭川市内の「神居」(カムイ)という地名は代表的な例ですが、地名にアイヌ語がそのまま名付けられていました。
ちなみにアイヌの人々は動物、植物、山、川、太陽、火、水などあらゆるものに霊魂が存在すると考え、人間のチカラを超えるそれらをカムイ(神)として意識し生活をしていました。
日本の和人史と比較しても、北海道の文化は独自のアイヌ文化の影響を受け継いでおり、本格的な和人文化が入ってきたのは明治時代初期以降になってからのこと。そう考えると、北海道の日本文化はまだたったの150年しか経過していないという事実。
またアイヌ人のDNAは日本に最初に住み着いた縄文人のDNAをほぼそっくり引き継いでいることも近年の研究で明らかになっていて、私もその血を引き継いでいることが姉のDNA検査で分かっています。(ちなみに日本人の40%は中国大陸系の血を引いてるとのこと)
そう考えると、アイヌ文化と自分のルーツは他人事ではなく、自然に興味を引く対象になるわけです。だからアイヌ資料館とか見つけると、つい入っちゃうんですが、アイヌ文化は文字を持たない文化だったので、詳しいことを掘り下げて歴史をたどるのが難しい。だからどこの資料館も同じような情報しか共有されていない・・・
恐らく本州の屯田兵が蝦夷(北海道)の開拓に本格参入した明治時代は、アメリカ大陸に住んでいたインディアンがされた同じようなことが起きたと察しますが、そんな不利な歴史を日本人が自らが残すとは考えにくい。そのような都合の悪い情報は麵つゆのように3倍にも4倍にも薄められた情報しか残っていないのでしょう。
アイヌ人は縄文人同様に自ら争うことを望まなかった民族ですし、ほとんどの国のインディアンは平和を愛し、争いを好みませんでした。今の時代だからこそ私たちがアイヌ人などの原住民から学ぶ考え方は沢山ある気がします。
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