パパ活ではないという言い訳
先日のことだが20代の女性の方と食事に行く機会があった。特別な関係ではなく、田舎から上京してきた娘のような存在?とでも言おうか・・・気になる、気にならないで言うと「心配」という意味で気になる存在。
ちゃんとメシ喰えてるのかな?とか、コロナで仕事に就けてるかな?とか、そのたぐい。そういった知り合いが男女問わず20代から40代まで私の周りには存在する。
今回久しぶりに食事をご一緒した女性はオモシロ楽しく2時間くらいご飯を食べて、ひと通りの話を聞き出し、無事に生活が出来ているようだった。
私自身、田舎から東京に出てきた部類なので、東京に頼る人がいない淋しさを知ってるし、それが海外から東京に出てきた人なら尚更。5月のコロナ禍では東京在住の海外の知り合いに沢山コンタクトを取り、安否確認をさせてもらった。人によっては余計なお世話かもしれないが、私自身は一人で海外に住んでいた経験もあるので、外国で情報が少ない苦境の中での心細さや不安がどんなモノかを知ってるつもり。よく言われる「遠くの親より、近くの他人」の意味を若い時に肌で感じた人間だ。
それは良しとして、最近インターネットで「パパ活」という言葉を頻繁に目にするようになった。言葉の成り行きから大体の意味は想像できるが、定義を確認すると
パパ活とは、経済的に余裕のある男性と一緒の時間を過ごし対価として金銭を得る活動のこと
と記載されている。どうやら援助交際とは違い、食事に付き合ってもらうだけでパパ側が数万円を支払うのだそう。これはマジか?日本のオッサン達よ、君たちは正気か?と思うのと同時に、自分のやっていることもひょっとして同じか?と頭をよぎった。
もちろん自分の場合は食事代はおごるけど、付き合ってくれたからと言って、その対価を支払うようなことは絶対にありえない。それは完全にバカげている。若いというだけで見知らぬ女性にご飯をご馳走して、お金まであげるなんて、何が面白くてそんなことをするのだろう?
イヤ、でも応援する、相談に乗る、というスタンスはパパ活と変わらないのでは?そんな疑問が自分を苦しめる。と、まあ散々考えたが、要するに最終目標が違うという言い訳をさせて欲しい。
パパ活を試みるオッサンどもは、最終的にはあわよくば口説いて落とすことが目的。私の場合は一人で東京に出てきた経験や、一人で海外に暮らしていた経験から「近くの親より、遠くの他人」になりたいということ。若い時に死ぬほど他人に迷惑をかけて、散々助けてもらった経験がそう仕向けている。
ただ、そういった若い女性達も場所を変えセクシーな姿で、指を折り曲げて「カモーン」とか誘惑してきたら、自分は絶対に大丈夫と言い切れるか?自問してみる。
頭の中はメリーゴーランド状態。事実、応援している若い子の中には男子もいるから、やっぱりパパ活ではない、あれっオレはゲイじゃないしな、違う違うなど・・・そんな妄想が脳内環境を破壊、自分一人でいくらジャンケンをやっても勝負はつかない。
あなたなら、この行動パターンをどう解釈するのだろう?
1. 人助けの部類
2. パパ活の部類
3. 単なるお節介
上の写真は考え事をしていて道を間違った際に出会った景色。道を間違ったおかげで、こんな素敵な景色見ることもできる。
最終結論としては、パパ活をする方も、される方も他人が否定をしてはいけないということ。物事は需要と供給でなりたっているのだから。
私の場合は単なるお節介ということで決着がつきそうだ。
コメントを残す