2019-10-04

80年代ニューヨークの思い出 パート2

1980年代後半からニューヨークのハーレムに住んでいたのですが、住んでいた1LDKのマンションは125丁目の駅から徒歩2分の好立地で家賃も450ドルとマンハッタンでは激安でした。

当時はそんなところに日本人が一人で住むことなどあり得ないとされていましたが、それほどニューヨークの治安は悪化の一途をたどっており、ギャングの抗争は絶えず、当時大流行していたCrackという安価なドラックが麻薬中毒者をどん底の生活に追いやっていたことを生々しく覚えています。

90年代初頭に公開され2Pacが主演した「Juice」という映画がありましたが、まさにあの雰囲気が再現されている生活です。ドラックディーラーの縄張り争いて銃をぶっ放している現場にも実際に居合わせましたし、衝撃だったのは殺傷能力のある小型銃がたったの20ドルで売っていたことや、グロッサリーといわれるコンビにのようなお店でコカインだって買えました。

そんな現状でしたが、私は音楽のある生活に没頭してましたので、毎日楽しくて仕方ありませんでした。特に思い出として記憶に残っているのは、家から歩いて1分のところに位置するアポロシアター。毎週水曜日にアマチュアナイトというイベントがやっておりまして、5ドルくらいの入場料でアマチュアとはいえ素晴らしいパフォーマンスを楽しむことができました。

アポロシアターではデビューしたてのTLCやメアリーJブライジ、そして生で見て以来大好きになったRケリーのライブを体験、Rケリーのデビューアルバムに収録されていた「Honey Love」という曲がヒットしていた初期のころで、彼の歌には心のそこから衝撃を受けました。

民法のテレビでは夕方から「YO! RAP」というMTVのプログラムが放映されていましたし、夜はサタデーナイトライブなどよい音楽をタイムリーに聴ける番組がたくさんあって幸せだったこと・・・・

ナイトクラブは1週間に6日、3年ほど通っておりまして、それについては書きたいことが沢山あるので、他の機会に書こうと思います。

当時はインターネットが無かったので、そこで出会った仲間とは離ればなれですが、80年代~90年代にニューヨークに住んでいた方がいれば、絶対に話に花が咲くと思います。心当たりのある方は是非ご連絡を!


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