2022-09-05

芸術人と敬意

他人に敬意を払わない人というのが一定数います。自分の若いころはその代表格でした。

今考えると恥ずかしくて逃げ出したくなりますが、そのころは自分のチカラで生きていると思っていたんです。精神的に未熟だから人に敬意を払うことを知らなかった、というのが正しい言い方。物事の捉え方がせまかったんですね。

人間がひとりのチカラで成り立つことなんて、ほとんどない。なんでそんなことが分からなかったのか?

朝食べているお米は農家が作って農協が流通させ、スーパーが販売してくれるから買うことができる。これをイチから自分で作ったらお米を食べるまでに1年もかかってしまう。そんなに待っていたら死んじゃいます。

仕事だって段取りをしてくれた誰かがいて、その対価を交換してくれる人がいなければ成り立たない。つまりお金を得ることが出来ないから生活ができません。

人間は目に見えない誰かの作業を当たり前のように感じ、見過ごしてしまいがちですが、そこまでの過程には必ず誰かの手が入っている。見えない壁の向こう側は全自動で動いているわけでは無く、人間の手によって動いている。世の中のシステムは全て誰かが関わっているからこそ流れている。若い時はそこに気付くことすらできないんです。

私はコンビニで買い物をする時でさえ、かならず店員さんにありがとうと言います。別に意識しているわけでは無く、無意識的に言っているんだと思う。購入しているのは私で、客は私だから、お礼を言う必要なんて無い・・とは思えないんです。(もちろん、昔はそう思っていました)

世の中の人々は互いに貢献し合って成り立っている。だから自然と他人に対して敬意の念が生まれ、それは自然な事。

先日に起きた出来事で「他人に対してのリスペクト」について考えさせられることがあり、このような記事を残しましたが、若いころはそこに気付ける人は少ないし、年齢を重ねても残念ながらそのような人間は一定数います。

特に自分が仕事として共同作業で関わる人間には「リスペクト」について理解を求めるか、そのような人を排除するかの2択になります。敬意のある人たちと信頼関係を深めて素晴らしい仕事を積み上げることが自分の役割。特に芸術人であり、文化人であるためには、いつの時代もそのような人間性が求められることは間違いありません。


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