炎を灯し続けること
今エンターテイメント業界に属する人々は苦境に立たされていると感じることがあります。
それは、特にライブを通じてパフォーマンスをしてきた演者さんで、アーティスト、舞台役者、落語家、漫才師などあらゆる職種に及ぶパフォーマーを指します。
コロナが騒がれて以降の約1年3か月以上、我々のような観衆相手の芸人は対面での仕事を奪われています。それはDJ業界も同じで、制限される環境の中で四苦八苦しながら、我々の命でもあるステージでのパフォーマンスに戻れずにいます。
オリンピックは国策であり、最優先事項であるがために観客の制限などの決定事項は瞬時に決定されました。すでに販売されたチケット数や商売としてのオリンピックを考えた時に観客がゼロだと示しが付かないから。
しかし、1年以上パフォーマンスの場を奪われたアーティスの現場はどうでしょう?いまだに基準があいまいで、ライブをやるにも企画をするのは至難の業。政治家は誰も自分の首をかけて対策を打って出る人はいません。この機会損失は日本のアーティストにとって衰退を意味します。
芸術ってなんでしょう?「衣食住」以外の生きるためには必要ないものでしょうか?自分がもし死刑宣告をされた最後の瞬間は、美味しいステーキを食べることではなく、感動的な音楽を聴くことだと確信します。あなたはどうでしょうか?
私の周りでは日本という国がアートへの理解がないことへの失望感、芸術活動の継続を守るという意識の欠乏、芸術家への支援の少なさに憤りを感じているという声が後を絶ちません。
ここに来て久しぶりにステージを再開したアーティストと観客の一体感をあらためてリアルタイムで見ると、胸が熱くなります。こういった場所でアーティストは命を与えられ、生きる意味を見出しているのだと感じてなりません。
檻の中に入れられたアーティストは、まるで草原を走る機会を失った馬と同じ。国のあいまいな方針のせいで、自身への活動の方向性を見出せないアーティストがどれだけいることか・・・
日本が誇る芸術活動(音楽、舞台、アニメ、伝統芸能)など現場に携わる人々の支援は、国が絶対的な責任をもって守るべきものであり、芸術活動への炎を灯し続けなければならないと感じます。
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