2022-01-25

幸せはここに

今日は恥ずかしいくらい真面目な話をします。それは「幸せ」についてです。

なにか悩みでもあるの?とか聞かれそうですが、最近読んだ本に真剣に書かれていたので、私も真剣に考えてみました。

「幸せ」とは願いが叶うことでしょうか?高級車を手に入れることでしょうか?マイホームの夢を叶えることでしょうか?自分の夢見ていた仕事に就くこと?理想の異性にめぐり会うこと、美味しい食事をすること、好きなゲームを誰にも邪魔されずに一日中すること、性的な欲求を満たすこと、使えきれないほどのお金を持つこと、美人を連れて歩くこと、テレビに出て有名になること、犬を飼うこと、名門大学に行くこと、わあ~~!!

言い出すとキリがありませんし、人それぞれ価値が違うように「幸せ」と感じる瞬間も様々でしょう。ただ、こういった物質的なモノを手に入れることより、実はもっと近くに「幸せ」は存在することを知ったんです。

私は使いきれないほどのお金は持っていませんし、テレビに出て有名にもなっていません。(美人はたまに連れて歩いています)なので、それが達成された時に「幸せ」と思うかはわかりません。いや、多分その瞬間は「幸せ」と感じるのでしょう。

でもその考えに従うと、金持ちが世の中で一番「幸せ」ってことになるし、有名人が「幸せか?」というと自殺してしまう人だっているくらいだから、そうじゃない。

人間の心が満たされ「幸せ」という幸福感を味わうには、物資的な満足だけでは長続きしない。強欲になってモノを所有することは、次のモノを所有する物欲を生みますし、お金をツールとして世の中のほとんどのモノを買ったり所有することは出来ます。が、しかし人間の本能的な満足感を味わうには豪華な暮らしとか、権力を握って人を動かすだけでは心に虚しさを残すだけ。

何を今さらそんなことを・・・と思われますが、それが分かったんです。本来「幸せ」って、そんなに遠い存在ではない事。

ぶっちゃけちゃうと、誰もがみんな生きているだけで「幸せ」な存在だということ。「幸せ」って心の持ち方のこと。「幸せ」は外側じゃなくて、自分の内側にいつも存在している。

星空を見て「オレって幸せ」と感じる感性。コンクリートの隙間からたくましく咲くタンポポを見て「すごいな」と響く心。朝ごはんがシシャモと白米だけでも「おいしい」と感じる気持ち。全然知らない親子が夕暮れに散歩をしているのを見て「あたたかい」と和む瞬間。「幸せ」ってそこらじゅうに存在していて、それを感じるか、感じないかはあなたや私の心の持ち方次第。

そんなことを考えた一日でした。


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