クリスマス 思い出
12月になると思い出すのがクリスマスの思い出。物心ついたころから10歳くらいまでの間の私は祖父母に育てられており、祖父母が信仰深いクリスチャンだったために毎週末は教会で過ごすのが一般的でした。
特に12月からクリスマスに向けては、日本の家庭で行われる暖かなクリスマスとはまるで違い、教会の行事の中でもキリストの誕生を祝う最も重要な日でバタバタが続く。私の育った家庭ではクリスマス・ミサ(前夜祭)と呼ばれる行事に向けて毎年過酷な侍者会という子供のお泊り会(合宿)がありました。
侍者というのはミサの時に司祭(神父)に付く奉仕役のことで、主に子供から青年までが務めを果たすことが義務付けられていました。私も毎週日曜日はミサの時に侍者を務めておりまして、クリスマス・シーズンはそのミサに向けて猛特訓の合宿があるというわけです。
この期間が子供の私には結構キツく、まるで修行のような時間ですから、クリスマスが近づくたびにこの修行を思い出してしまうんです。
と言っても滝に打たれたり、長時間に正座をしたりということはなく、神父からお説教を聞かされたり、侍者の作法について習ったりするだけですが。
先日ローマ教皇が38年ぶりに来日しましたが、前回ヨハネパウロ2世が来日した時のことも鮮明に覚えております。私はまだ小学生でしたが、地元旭川の教会からヨハネパウロ2世に会いに行った聖職者(川上さん)が不思議なことをおっしゃっておりました。
川上さん:私が大混雑の中、法王にとても会いたいと熱望していると、大行列にもかかわらず何故か法王が通る方向に道が開け、私に向かって法王が歩いてきました。そして偶然に挨拶を交わし握手をすることができたのです!と。
子供ながらに世界のカトリックのトップの方と握手ができたなんて、私にとっては衝撃的なお話でした。
現在のフランシスコ教皇はカトリックの歴史上、初の南米出身者ということもあり、世界的な話題性や影響力が非常に大きく、皇太子様の即位タイミングで日本の歴史が変わるタイミングに来てくれたことにも深い意味を感じて仕方ありません。長崎、広島の訪問を経て戦争の爪痕を振り返り、今後の日本が進むべき光の方向性を示してくれたことは確かでしょう。
話が子供のころのクリスマスの思い出から、政治の話になりそうでした(笑)現在の私は子供のころに通ったカトリックの教えが染みついていますが、今は神社にも行きますし、事務所に神棚もあります。大人になってからもカトリック教会は通いましたが現在の私の想いとは少々相性が合わなかったようです。
しかし私の信仰深さは祖父母譲りだと思いますし、決して無宗教ではありません。宇宙の偉大な存在を信じて生きている豆粒ほどの人間が自分なんだと思います。
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