80年代 ニューヨーク イーストビレッジ
1980年代も終わりに差し掛かろうとしていた時期。私はニューヨークのダウンタウン、イーストビレッジという町に住んでおりました。
こちら↓の写真は当時、イーストビレッジよりも少し離れた区域にあったダウンタウンでSOHOと呼ばれていた地区の写真。
※イーストビレッジの良いイメージ写真がないので、代わりに雰囲気を味わってもらうために添付しています
何故イーストビレッジに住んでいたか?それは簡単、当時極貧な私に「タダで泊まっていいよ」と言ってくれた知り合いがイーストビレッジに住んでいたから。確か半年間くらいだったと記憶していますが、当時17~18歳だった私は、お金を払うことなく雨風しのげる場所を確保できた。今考えると本当にありがたい話です。
しかし。家主の彼が鬱病とノイローゼを発症してしまい、一緒に住むのが怖くなった私は逃げ出すようにその家を飛び出たんです。数か月後に私を訪れた友達の話では、一人になった彼は完全に気が狂ってしまったとのこと。私はなんて薄情なヤツだったのでしょう・・・
80年代のイーストビレッジはベトナム戦争など反戦活動の拠点にもなった場所で、自由を求める貧乏な白人が多く、ヒッピーの思想、音楽的にはレゲエやパンク、ゲイ文化の発祥地でもあり、当時のニューヨークでは眠らない街として有名だった。
特に私が住んでいたセントマークスプレイス(St. Mark’s Place)はイーストビレッジの目貫通りで、週末には人でごった返すようなエリア。酔っぱらいの怒鳴り声が四六時中響いていて、夜は静かに眠れなかったことを覚えている。
私の住んでいた80年代は浮浪者や精神疾患(ヤクのやりすぎ)薬の売人などが信じられないほど沢山いて、外のアパート階段に座って一日中人間ウォッチングをしていても全然飽きなかった。
今はどんな状況になっているのか?想像もつきませんが、そんなギリギリの治安だったからこそ、住んでいてスリルがあって面白かったのも事実。北海道の田舎に住んでいた環境が一変し、世界の人種の坩堝へと移り住んだカルチャーショックときたら、言葉では語りつくせない。
今思うと、長い人生の中には、あんな時期も経験しておいて良かったと思うんです。
で、その後にニューヨークのハーレムへ引っ越すんですけどね。80年代のハーレム、これが想像以上に凄かった。その時の話はまたの機会にしましょう。
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