2019-09-06

初めてのDJプレイ

DJ初心者にとって、人前で初めてプレイするということはビックイベントのはずです。どんなDJにだってデビューはあります。私にもありました。

よく驚かれるのですが、私が本格的にDJを始めたのは、この仕事を起業した38歳の時です。38歳からDJを始めたなんて、いくらなんでも遅すぎです!それでも、すぐにお金をもらってDJの営業活動をしておりました。恥ずかしい話なのですが、DJ機器の使い方すらわからず、独学で海外のビデオなどを見ながらプレイの方法を学びました。

先述したように私が初めて人前でDJプレイをした際も、しっかりギャラをもらいました。ギャラは現金で300ドル。今考えるとかなり迷惑な話だと思います。そのファーストギグはなんと横須賀ベース内で行われたアメリカ人のスイート16でした。

Sweet 16とは女の子が16歳のバースデイに大人の仲間入りを祝う催しで、家族や友人などを呼んでパーティーをします。そこでDJを呼ぶというのはステータスが高く、誰が最高のパーティーを開催するか?という、アメリカのコミュニティーではある意味競い合いが起こる世界でもあります。

その日は15~16歳のアメリカ黒人のキッズが30人ほど、親や近所の人を含めると50人くらいは居ました。会場に到着した私は音響機器をセッティングし、サウンドチェックに少しジャッズっぽい音楽をプレイしたところ「ウチの娘はそんな曲は聞かないよ」とお父さんが話しかけてきました。「サウンドチェックだから・・・」と返し、心の中は「何をプレイすれば良いのだろう?」と恐怖が全身を駆け巡りました。

パーティーが始まり3曲くらい古いヒップホップをプレイしたのですが、案の定キッズたちが寄ってたかって「そんな曲は聞かない!」と言いに来たのです。しかもDJのために与えられた時間は4時間ほどあったでしょうか?今では4時間くらい楽勝ですが、初めてのDJ現場としては長すぎです。怒っている顔が私の周りを取り囲み、絶望的になりましたが、そのピンチをある1曲が救いました。

それは当時流行っていたアリシア・キースの曲で、「キャー」という声と共に大勢のキッズや大人たちもダンスフロアに押し寄せました。この時のことは今でも繊細に思い出せるほど嬉しい出来事でした。「よし、切り抜けた!」と思ったのもつかの間、1時間はそのまま良い空気を作れたのですが、みんなが聴きたかったヒップホップの音源の持ち合わせがありませんでした。「そんな音源も持ってないなんて、信じられない」と悪態をつかれ、最終的には散々な結果となってしまいました。

帰り際に主役の16歳の女の子(見た目は大人)が私のところに来て、「あたなはよくやってくれたわ」と慰めとしか取れない言葉をかけてくれました。自分のちから不足だったことに愕然としながら、機材を撤収して帰りました。

これが私の初めてのDJ現場。しかし、この散々な経験がこの後の自分にをつけることになるんです。

というのも、このパーティーを経験したのが2003年のこと。その6年後にDJで本格的に起業を始めることになるのです。2009年私が38歳になったばかりの春にソウルピーナッツ・プロダクションズは始まったのです。

もっと沢山の人に音楽を通じて楽しんでもらおう、日本にもアメリカ的なパーティー文化を広めよう、と決心。あの時があるから今があるのです。

もし今の私の実力で2003年のあの時に戻れたら、そのパーティーに参加したキッズたちは文句なしに楽しめたでしょう。今の自分の実力なら10代のアメリカ人を盛り上げることは絶対的な自信があります。しかし、あの悲惨な経験が無ければソウルピーナッツが生まれることはなかった。そう考えると人生は必ず上手くいくように出来ているのだから素晴らしい!


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