2022-03-23

Jobowとはナニ者か?

自分のことって普段は客観的に見れないこともあり、そもそも自分の過去には興味がない為か、あまり話す機会ってありません。

DJ Jobow(ディージェージョボウ)とは誰!

わたしは現在までDJ Jobowという名前で活動していましたが、私のことに興味がある人に向けても、無い人に向けても・・・この辺りで自己紹介をしておくべきかもしれません。なんせ、無名過ぎて誰も知らないんです。

私の年齢は非公開ですが、これまでの歴史を簡単に振り返ると、以下になります

小学生でドラムを始める。中学生で北海道内の数々の音楽コンテストで賞を取る(安全地帯の田中さんのドラムセットを引継いだのは、あまりに無名なエピソード)

16歳の夏、プロのドラマーを夢見て15000円を握りしめ北海道から単独上京、道端で死にかける(ちなみに初めて家出をしたのは小学校2年生)

17歳で本場アメリカへ音楽旅行へ。そのまま5年間ニューヨークに住み、ボクシングとダンスに明け暮れる(後に世界的に有名になったElite Forceの面々と毎日のようにクラブを渡り歩き1週間に7日間おどる生活)

20代で日本に戻り、20代半ばでソロアーティストとしてプロデビュー。日本初の男性R&Bシンガーとして全然売れず・・・その際にJo’bowと名乗った(同時期にWoofinを始め音楽関係のライターも務める)

その時のレコードジャケット

30歳、子供が大きくなるにつれ、稼げないアーティスト活動に見切りを付け、大型トラックの運転手に(子供に1000円のTシャツも買ってあげられなかったことが音楽をやめたキッカケに)

30代後半、やっぱり音楽だ!と意気込み、再起を果たすためにDJなんてやったことがないのにDJの会社を立ち上げる(30代後半で会社経営をスタート)

数年後、仕事の案件数は年間250本以上をこなす会社へ成長。しかも10年以上安定(取引先は大使館各国や大手企業。恐ろしいほど運の良さを感じ始める)

↓DJっぽく見える写真

2020年3月、コロナが直撃、DJ法人が危機に直面(2022年3月現在は復活しました!)

2020年7月、「なんとかせねば・・」と、なぜか長年描いていた総合芸術「映画」の世界へチャレンジ

そして、現在に至る・・・という感じです。

ちなみにベリーダンス業界は2012年から10年くらい関わっていて、私の存在が知られたのは2020年コロナ禍でオンラインレッスンが流行った時。

ベリーダンサーが解決できない問題だらけのオンラインレッスン最中「こういう機材を使えば簡単だよ」とYouTubeに動画をあげたところ、ダンサーが参考にしたようです。

なので、ベリーダンス業界では「あぁ~、あの音響に詳しい人ね」という程度の認知度はありそう

ちなみに音響に関しては完全に独学ですが、今では建設現場で音響工事ができるほどの専門的知識を持っています。

ザックリですが、このような経歴の人物。今後ナニかの間違いで人に雇われ、面接をしなければならない時が来たら、このサイトをコピペして持って行こうと思います。


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