鏡にうつる自分
これまでの過去を振り返った時に、自分の心が大きく乱れてしまった時期を振り返るとある特徴が二つあります。
ひとつは目先のことに追われ、メンタル的に余裕がなくなり、心配事や不安で頭の中が埋め尽くされている時。
そして二つ目は身の回りの整理整頓を放置、部屋は荷物や書類でごった返し、事務所の神棚は榊(サカキ)が枯れ何日も手付かずのまま。そんな不衛生な状態が続く生活は、必ずと言っていいほど精神的な病みと同期しています。
私の事務所の神棚は小さいながらも近所の神社とつながっていて、そのことを意識するようになったのは事務所の土地の所有者を知った時でした。大家さんが「この建物の土地は借地で〇〇神社から借りている」と聞いた時はびっくり!実際に借用書を拝見しましたが、大家さんの言っていることは事実で、所有者に神社の名前が記載されていました。
話はズレましたが、神棚の鏡から自分の姿を写すと、そこには自分の姿が見えます。当たり前ですね。でも鏡に写った自分の顔に不安が表れていたり、または鏡自体が汚れてくもっていたり、その状況は毎回違う。
神棚の水を毎日変えて、榊(サカキ)が枯れないように面倒を見て・・・毎日のことなので手間はかかりますが、その行為は自分の行動を正すこととリンクしている。身の回りがとっ散らかって整理できていないという生活態度は、心の中も散らかり放題ということ。だからいつも整理整頓をして清潔にキレイにしていなければダメなんです。
私は聖人でもなければ、宗教に対して信仰深くも無いですが、神棚の状態を見るとその時の自分の精神状態を教えてくれる。これは自分の気づきや錯覚ではなく、不摂生になった私に対して「お前しっかりせや!」と直々に言われている真実だと確信します。
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