それでも我慢する?
今日のトピックは「我慢」(がまん)について。
我慢をする・・・私達が日常的に口にしている言葉ですが、耐え忍んだり、痛みをこらえるという意味で広く使われています。
しかし、この言葉の漢字をよく観察すると、我(自分)と慢(慢心、自慢)の組み合わせ。つまり「我慢」の意味合いとしては自分のことを偉いと思って自慢することになる。それでは、まるで解釈が違うではないか?
そう思い、オクスフォード国語辞典で詳しい言葉の意味を調べてみると意外な言葉の由来があった。
「我慢」は仏教用語として
自分を偉いと立てる(わがままな)慢心
と記載されている。
浄土真宗の説明によると、この我慢は仏教語であまり良い意味ではないとのこと。「自我」を自ら高くし、他をあなどることと説明しています。仏教では、そのようなおごり高ぶる心を七つ挙げ「七慢」(しちまん)と称しているようですが「我慢」もそのおごり高ぶる心の一つ。
それが、我が強い、負けん気が強い、頑張る、辛抱するなどと変化し、現在広く使われているような辛抱するという意味合いに変化したようです。
そう考えると、日本人が美徳としてきた耐えしのぐことの意味合いは、自分の執着にしがみつき、独りよがりの勝手な想いに過ぎなかったのかとさえ解釈できる。
もちろん、だからと言って自分の好き放題に生きて良いという意味ではないのは理解できる。
要は他人と協調し、大自然と同調し、宇宙と共鳴する生き方。自分を押し殺す生き方ではなく、自分という無二の存在を我慢せずに(つまりおごり高ぶることなく)他方や自分に敬意を払って生きて行く姿ではなかろうか?
そういった心の持ち方でラクに生きて行けばいいんだね。
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