2019-10-17

音楽と私 パート1

私の音楽人生を振り返ると、影響を受けたアーティストが自分の成長と共にポイント的に存在します。

今では偉そうに洋楽ばかり知ったようなことを語っているもの、私自身は生粋の日本人ですから物心ついた時に聞いていた音楽はピンクレディーやキャンディーズといったアイドルの走りでした。ピンクレディーは最近聞いてもサウンドプロダクションが非常に巧妙で音が全然色あせてないことに驚きです。また、ラッキーにも親戚がレコード屋さんでアルバイトをしていたこともあり、Earth, Winds & Fireをオンタイムで聞くという恵まれた環境があったのも事実。母親がビートルズやカーペンターズを好きだったことも洋楽に触れる良い機会でした。

しかし本当の意味で肌に染み込んでいるのは80年代の邦楽懐メロ音楽。地元の安全地帯は素晴らしいアーティストですが、チェッカーズとか横浜銀蠅などを最近聞き直してみると、当時の素敵な記憶のままに留めておいた方が良かったと感じました。

小学6年生の時に初めてレッドツェッペリンを聞き、頭をハンマーで殴られた衝撃が走りました。中学校の時はへヴィーメタル全盛期でヴァン・ヘイレンやモトリー・クルー、ガンズ&ローゼスなどが流行っており、日本でもラウドネスや44マグナムがブームでした。

余談ですがある時、旭川に当時流行っていたアース・シェイカーというバンドが公演に来たのですが、コンサートが終わってバンドのメンバーと一緒に飲みに行く機会を得ました。彼らの目的はただひとつ(と言ってもボーカルのマーシーさんだけで他の方は地味でしたが)地元の若い女の子をホテルに持ち帰ること。純粋に音楽で夢一杯だった私には、このような大人の世界に信じられないほどショックを受けました。

17歳の時に70年代のローリング・ストーンズやジミヘンのようなロックを掘り下げていくと、シカゴブルースに出会いました。マディー・ウォーターズやロバート・ジョンソンといった面々です。そこからは黒人音楽一色になり、辿り着いたところは1930年代のベッシ―・スミスのようなブルースの原型。ジャズも好きになりビリー・ホリデーの自伝本「奇妙な果実」を読破してからは彼女の虜となりビデオやアルバムを全て買い尽くしました。

ニューヨークに移り住んでからは私はジャズにドハマリで、ジョン・コルトレーンのアルバムを全て購入。初めて買った「ジャイアント・ステップス」というアルバムを聞いた時の衝撃が忘れられません。まさにニューヨークに住んでいたからこそ、ジャズという音楽が深く理解できました。同時にLL Cool Jのようなヒップホップも聞いていましたが、ジャズとの共通点を大いに感じていました。そこは所詮黒人がやっている音楽ですから・・・

以上が物心ついてから20代になる前までに影響された音楽となります。短期間ですが濃い~吸収期間だったと回想します。昔は今と音楽の聴き方が違い、手に入れられる音源が限られていましたから、持っているレコードやカセットテープはクタクタになるまで何度も繰り返し聞いたものです。しかもウォークマンに入れられるカセットもアルバム1枚分なので、必然と同じ曲を何度も聞くことになりました。そのカセットはその時の自分の生活や心境が反映されている最高の1枚でした。

この時代は無限の音源をいつでも好きな時に入手できるようになりましたが、それは深く掘り下げるチャンスを失うという意味でもあります。

時代の流れと共に音楽も聴き方も変わっていく。今はレコード屋に行かなくても世界中の音楽が手に入る。私は深堀りする時代も体験しているのですから現代と両者の良いところ取りで音楽と関わっているのだと実感します。

世界にはまだまだ私の知らない素晴らしい音楽がありますが、テクノロジーの進化で生きてるうちにまだ出会っていない全ての音楽を経験できるのだろうか?そんなことを考えました。

20代以降で影響を受けた音楽については、また次の機会で書こうと思います。(膨大な量なので!)


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