人生は頼まれた数
わたしは「このお方はブッダかキリストの再来ではないか?」と感じる方がいます。このブログでも何度も取り上げてきた小林正観さんです。残念ながら正観さんは2011年10月にこの世を去りましたが、彼のことをもっと早く知っていれば、今の自分だったら絶対に会いに行ったと確信します。
彼は私のメンター。自分の魂力を高め、成長させてくれます。YouTubeに無数にアップロードされている生前の講演会では、毎日聞いても聞き切れないほどの良い話が無料で聞けます。そして、聞けば聞くほどもっと聞きたくなる。
年間に全国へ300回を超えるセミナー開催に加え、書籍も沢山リリースされていて、多い時は年間20冊近くも本を出版していたようです。睡眠時間は若い時から毎日3時間程度だったらしく、生涯を通じて無休で人の為に尽くした方。
そんな彼の言葉で、最近とても突き刺さった言葉があります。是非シェアさせて欲しいと思い、以下にご紹介します。
私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生まれてきました。
「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。
「喜ばれる存在になる」 =「頼まれやすい人」であること。人生の中に達成目標・努力目標はいりません。
頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。これが人間の生き方です。
心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくことです。
この文面を読んでどう感じるかは人それぞれでしょう。
社会一般的には「夢を持ち、志を高く持って生きる」というのが子供のころからの教育で、私たちはそれが当たり前だと叩き込まれてきました。しかし、正観さんの考え方は全く違う。
夢は要らない、目標も要らない、努力も不要と言うのです。ただひたすら頼まれごとをされる人間になり、頼まれたことを淡々とこなしていく人生こそが最高と唱えているんです。
そう考えると、名立たる中世のクラシック音楽家は王室や貴族に仕え、作品作りはもっぱら注文に応じて書き下ろしていましたし、本田宗一郎は常に人々の要望に応え、時代を先駆けするような自動車を作っていました。
また、商売自体がそもそも頼まれごとの連続ですし、会社の中でも気持ちよく頼まれごとを引き受けてくれる人は、結果的にどんどん出世をします。
要するに頼まれごとを引き受けるという構図は人生そのもの。お金儲けよりも何よりも先に、その人にしかできない頼まれごとを引き受けて人の役に立つこと。それこそが地球に生まれてきた意味。わたしはそう解釈します。
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