George Floyd
今日は他の国で起きているとはいえ、あまりにも悲しい出来事についてお話します。
私の実姉が住んでいるミネアポリスで5月25日に警察のリンチにより亡くなったGeorge Floyd(ジョージフロイド)さんの記事はショッキングそのものでした。記事というよりはそのニュースが動画だったことで、その様子をより鮮明に記録し、これは誰が見てもリンチだろうと明確に伝える証拠に至りました。あれだけ残酷な映像が流出しては各地でデモや暴動が起こるのもやむを得ないのかもしれない。(※あえてこの動画はリンクしません。かなりキツイ動画なので、見る場合は自己責任でお願いします。)
私自身も1991年に起きた黒人への暴行事件Rodney King(ロドニーキング)事件の真っ只中にハーレムに住んでおり、LA Riot(ロス暴動)から全米に飛び火した暴動をニューヨークで体験した。
その後も終わることなく白人による有色人種への事件は続くが、まさか2020年のコロナ禍でそんな事件が起こるとは予想もしなかった。助け合いが必要な時期に、どうしてひとりの身勝手な感情が大切な命を奪うことが出来るのか?何故、周りにいた人達は誰も助けようとしなかったのか?何故、何故、何故!
アメリカは1863年、当時の大統領リンカーンによって奴隷制度が廃止。よく考えればそう遠くない歴史であり、たった157年前のこと。私のような40代の人間なら曽祖父の世代にアメリカの黒人奴隷が解放されたばかりである。家庭内の教育の中で、代々親が子供に間違った存在価値を植え付けてしまったのだろうか?突然変異をした加害者の心の歪みが原因だろうか?
私が黒人音楽にのめり込んだのは、この「何故?」という感情が始まりだった。16歳の時に読んだビリーホリデーの「Strange Fruit」という本がきっかけ。この本は彼女の名刺代わりとなった曲でもあり、日本語で「奇妙な果実」というタイトル、ジャズシンガーだったビリーは自分の父親も白人からのリンチで亡くし、その経験を歌った。歌詞の中で
「アメリカの南部では木に不思議な果実がぶら下がっている」
という表現で1939年に録音されたレコードだ。果実というのは、まさにリンチされた黒人が木にぶら下がった状態であり、当時の人種差別の醜さを奴隷制度のなごりを残す1939年にリリースした彼女の勇気には脅威さえ感じる。この曲がキッカケで私のアメリカ音楽への旅が始まったと言っても過言ではない。当時その曲を聴いた時のわたしの想いは「何故?」という疑問、そしてそれを理解するにはアメリカに行くしか方法は無いと感じた。
アメリカに実際に住んで理解した人種間の問題はあまりにも大き過ぎた。この問題は潜在的に複雑で根深く、終わりなきアメリカの社会問題ということに間違いない。ロドニーキングもジョージフロイドも動画が残っており、それが流出しニュースに持ち込んだ。しかし確たる証拠がないことを理由に不起訴になる人種間の殺人事件は日常茶飯事で山のようにあり、アメリカでこのような事件は氷山の一角。
感染力の強いウイルスと同様、憎しみは憎しみの連鎖を生む。問題の根元から解決できず、一時的に抑えこむだけの処置は解熱剤と同じ、何度も同じ症状が繰り返されるということ。ウイルスも歴史も人の感情さえも、人間が過去から学ぶことはそう簡単ではないのだろうか。
彼の死が決して無駄にならないよう、心からご冥福をお祈りしたい。
#George Floyd
コメントを残す