スケジュールの美学
数年前の私は、忙しいことを一種のステータスのように考えていた。真っ黒に埋まったスケジュール帳を見ては「オレってなんて忙しいんだ」と自慢気になってアピールしていたもの。
要するに「忙しいこと」=「頼られる存在」という方程式でとらえていた。逆説的に言うと忙しくないことは仕事上、誰にも頼られていない証拠で恥ずかしいことと考えていた。
でも、今は全然そんな風に思わない。
今はスケジュールを埋め尽くすことは自分の時間をコントロールできないダメなヤツとさえ思うし、人の頼みをなんでもかんでもOKして、自分の大切な時間を失っている残念な人だと感じるようになった。ある時、自分はそんな風にはなりたくないと気が付いた。
毎日忙しくしていると、本当に自分にとって大切なことに向き合う時間が確実に減る。何も考えずに次から次へタスクをこなすことが人生を生きる意味ではないし、命を賭けた生き方ではない。
もちろん、我が人生の目標を達成するにはやるべきことが山のように出てくる。自分が全くの無名だったら、出来る限り沢山のネットワークにコネクトして、自分を売り込む必要もある。だからがむしゃらに努力をしている自分を装うためにも「時間がない」と言ってた方が、それに見合った言い訳にもなる。
でも、自分の目標を達成することすら、本当にそんなことが必要なのか?とすら最近は感じる。
うん、目標を達成して満足感に浸ることは実に素晴らしい。でもその目標を達成したら、また次の目標が出てくる。これは無限のループ。その目標をクリアすることと、人生の幸福度は関係があるのだろうか?
次々とタスクをこなし、目標に到達することと人間性の懐の深さは決して比例しない。
何が言いたいかと言うと、自分にとって本当にやるべきことが出来ているか?を最優先にすべきであり、それこそが自らの幸福度を上げる唯一の方法。
だから周りから頼まれたことを何でもかんでも引き受けるのは違うし、時には(というか結構な頻度で)お断りを入れる勇気も必要。で、自分が命を賭けて取り組める仕事だけに集中する。
だから依頼が来た仕事に対しては「お前はこの仕事に取り組むことで最高の気分を味わえるか?」と毎回自分に問う必要がある。特にいい年をこいてくると、残された時間は少ないし、あとどれだけのプロジェクトに関われるかもカウントダウンが始まる。
ただただスケジュールを埋め尽くす毎日に美学はない。
スケジュールの美学はお前をハッピーにする仕事にどれだけ関われるか?今後はそっち方が大切だってことをお前に伝えたかった。
(※お前=オレ)
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