Blue Qurasaw
昨年、母が私に古いアルバムを譲ってくれました。そのアルバムには私が幼いころの写真が沢山アルバムに収められていて、今になって久々にゆっくりと眺めることが出来た。
私は小学1~2年生の時に大きな病気をしてしまい、半年以上の病院で過ごしていた時期があったのを思い出したり、小学生の頃は野球部に入っていたのを思い出したり・・・
そんな中、1970~80年代にかけて巻き起こったバンドブームに乗っ取り、ヤマハが主催で全国区で開催していた「ヤマハ ポピュラーソングコンテスト」という大会がありました。
私はバンド活動をしていた中学2年から3年に2回エントリーした記憶があり、正式な記録では「第32回ポピュラーソングコンテスト」ではジュニアの部で旭川の地区予選を勝ち抜き、北海道大会へとコマを進めました。なんと、その時の写真が残っていたんです。こ、これは貴重な記録・・・
バンドの名前はBlue Qurasaw(ブルーキュラソー)という名前。↑上の写真で一番左に座っている鳥の巣頭の男子が15歳のDJ Jobowで当時はドラムを叩いていました。
一番右に座っている当時のギタリストは現在、東京都内でBarを経営しており、真ん中の白いシャツの方と左から2番目の女性は行方がわかりません。ちなみに、この女性はボーカリストで当時の私は痛いほど彼女へ恋に落ちていた。彼女はそのことを全然知りませんでしたが、バンド解散後にデートをして散々フラれてしまった。う~ッ、今考えても心が痛む!
このバンドの解散コンサートで、わたしは彼女のために曲を作ったのですが、その曲の内容が彼女自身へのラブソングだということに気付いていなかったでしょう。私が作詞作曲をして、彼女に歌ってもらった曲。しかし、実はそれは彼女に宛てた曲だった・・・ということです。
歌詞の内容は今でも少し覚えています。なんせ自分で書き下ろしたのですから。
Happy Times We Dreamed (夢見た幸せな時間)
とても心残りなこの気持ち。ごめんね、君に何も残すことが出来ない。
張り裂ける胸にはいくつもの思い出が。君の笑顔はステキだった、いつまでも忘れないよ。
人それぞれの、道を信じて。さあ、あの歌を口づさんで生きて行こう・・・
全部覚えていませんが、こんな感じの歌詞。まだ中学生ですから許してやってください。その解散コンサートでは、彼女が泣きながらこの曲を歌っていたのを思い出します。もしかして、ボクの気持ちを少しはくみ取ってくれていたのでしょうか?
昔の写真というのは、記憶を蘇らせる嬉しくて痛々しいツールです。皆さんも数十年後の自分のために、普段から沢山写真を撮りましょう。
PS. もし、この記事をS.M.さんが見つけたら、連絡をください。言葉足らずで傷を付けてしまい謝罪したいことがあります。
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