2020-09-20

祖母の想い出 その1

私の祖母が亡くなる少し前に聞いた話ですが、祖母がカトリック教会に通い出したキッカケを教えってもらったことがあります。恐らく今から70年以上前の話だと思いますが、祖母が10代前後の頃にひとりで教会を訪ねた話や、教会の建築物に魅了されたこと、ドイツ人の神父様がいてワクワクしたようなことを語っていました。

祖母は当時、大きな悩みを抱え自殺寸前の自分の母親を教会へ連れていき、母親をクリスチャンにさせた経緯も話してくれました。そんな祖母に幼いころから育てられたのが私で、今の自分が存在します。

しかし、今自分がカトリック教会へ通っているかといえば、実は全然通っていません。教会の人には怒られるかもしれませんが、要は大いなる存在(神)と自分自身の密接な関係を実生活において保っているかどうか?だと思うからです。教会に行かなくても神様とコミュニケーションをとることは全然可能です。祖母が幼少期から私を教会へ通わせてくれたおかげで、そんな考え方に至ったのかもしれません。

私は自分の信じている宗教や信仰心を他人に隠すつもりはありませんし、人に強要するつもりも全くありませんが、何も信じる存在が無いなんて自分の感覚では怖くてありえないという話です。だからと言って決して信仰深い宗教家でもありませんが・・・

日本人は生まれながら文化の中に「神道」の精神が宿っており、家に神棚を祀ったり、正月に初詣へ行ったりする習慣がまさにそれにあたります。物事を判断する良心や道徳心が海外の人々より強いのも、神道の考えが根から基づいているからでしょう。

私が10代の時にアメリカの高校で様々な国から来ている友達同士が集まり「お前の宗教は何?」という話になり、ヨーロッパの子で「私は無宗教、神の存在は信じない」と言い放った子が、みんなにアゴが外れる勢いで驚かれたのを覚えています。私も彼の意外な言葉に驚きました。というのも、歴史のあるヨーロッパはもちろん、海外では宗派は問わずとも、誰もが何らかの形で神の存在と関係を持っていると勘違いしていたからです。

その大いなる存在をキリストと呼ぶか、ブッタと呼ぶか、アラーと呼ぶか、宇宙と呼ぶかは問題ではありません。138億年前に真っ暗闇からビックバンが起き、そこから全てが始まった・・・という科学的な説には個人的に違和感を覚えるだけです。

そういえば、未来のクラリオン星から来たという小学校4年生の「そうた君」は話題になってますが、彼は神様にも階級がある・・・と言ってましたがその説だって、もしかすると本当かもしれません。

本来、人間の思想や宗教は自由であるべき。もちろん無宗教という選択肢も含め、他人が信じている対象を批判したり、強要したりするのは筋違い。

お互いの思想を今よりも少しだけ尊重しあえれば、争いや戦争も減ってマシな世の中になるんじゃないか・・・

祖母の思い出から、そんなスケールの大きな白昼夢に発展したストーリーでした。


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