幸せを感じるのは自由
幸せという感情を決めるのは自分自身です。物事の存在はただの事実でしかなく、その事実をどう感じるかは自分が決めること。他人が決めることはできません。
例えば最近事務所の草刈りをしてスッキリした雑草をかき分け、こんな花が出てきました
この花に気づいた瞬間、少なく見積もって私は感動しました。この花を見て私が感じたのは以下のこと
・たくましさ、力強さ
・けなげさ、やさしさ
・明るさ
・かわいらしさ
・勇気
・純粋なキレイさ
この花を見つけた10秒くらいの間にこれだけの感情が湧き出したんです。でもこう感じたのは私だけかもしれません。
この花が道端に咲いていても、人によっては何も感じないかもしれない。人によっては存在さえ気にならないかもしれない。下手したら踏みつぶしちゃったりするかもしれません。
でも、自分はたった10秒の間にこれだけの感情があふれた。他人に言われてそう感じたわけではありません。ただ自分がそう感じただけ・・・
結局のところ「幸せ」というのはそういうこと。自分が決めることで、他人と比較できる感情ではない。
天気が良くて最高だと感じることもできるし、天気だと暑くて汗が出るからイヤだな、と感じることもできる。「天気が良い」というのは、ただの事実で、それをどうとらえるのかは自分次第。
コロナで生活様式が変化して困ったと捉えることも自由だし、コロナのおかげで新しい世界をのぞくことが出来たと捉えることもできる。
どんなに小さいことでも幸せを感じることが出来る。一方で1000万円年収がないと幸せになれないと感じるのも自由。
でも私は日ごろの小さなことに、たくさんの幸せを感じながら生活を送ることを選ぶ。
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