サマンサという少女 Part2
先日に紹介した「サマンサという少女 Part1」は1980年代にNew Yorkで私が体験した甘酸っぱい恋愛物語、今日はその続編を書き留めます。
もう数十年前のことなので記憶が曖昧な部分もありますがモロ10代の青春ドラマです
彼女の名前はSamantha Wong(サマンサ・ウォング)Malaysia(マレーシア)出身の方。当時彼女は17歳、私は18歳でした。
彼女の両親共にシンガポールで会社を経営していて、確か父親は車のビジネスを手掛け成功をしていると言っていました。
彼女が私の住んでいる小さな部屋に遊びに来たいと言い出し、車でニューヨーク95丁目のリバーサイドへ向かいました。今は知りませんが、当時の95丁目付近のリバーサイドは出稼ぎに来ている労働者階級のメキシコ人ばかりで、私の住んでいるビルにはスペイン語の音楽が爆音であちこちから聞こえていました。「爆音」というのは日本人が想像する「大きな音」とはかけ離れていて、ビルが揺れて壁が崩れるほどの爆音を指します
昼間から酒臭いオッサンが路上でたむろしていたり、裏のストリートではマリファナの売人もいる。そんなところに清楚な少女を連れてきてしまったのです。当時の彼女はブルックリンの高級住宅街に住んでいたらしく、こんな場所とは無縁だったでしょう。
さて、彼女と私は車を降りて部屋に向かいます。何故かおしっこ臭いエレベーターを乗り、5階の暗い廊下の先に私の部屋はありました。部屋は日本で例えるなら四畳半くらいで、そこにベットとソファーとオーディオ機器と冷蔵庫を置いていました。キッチンとトイレ、シャワーは共有で月の家賃が280ドルと当時でも激安。
忘れもしませんが、彼女の表情はとてもこわばっていて「こ、こんなところに住んでるの・・・」と言っていました。なんせ1人用のソファが邪魔で入口のドアが少ししか開かない。そこをギリギリ通って部屋にジャンプインするシステムでした。
2人で部屋に入って少しすると、やけにヘンな空気に包まれました。いつも一人でいる時の部屋の空気感とは明らかに違う。
そう、私は全く気付きませんでした。本当にその時までは気付いていなかったんです。私自身も全くその気はありませんでした。彼女の口から出てきた言葉を耳にするまでは・・・
「あなたに私のバージンをあげたい」
その言葉を聞いた私は気が動転し、目は飛び出し、口から心臓が出て、鼻の穴からは熱い蒸気が出ていたと思います。世界はひっくり返り、体は硬直して触れたら鏡が割れるようにパリーンと音を立てて崩れたと思います。
とは言え、私も18歳と盛んな時期。頭の中のCPUは動作が遅すぎて、どう判断していいかクルクル回っている。ヤッちゃうべきか?いや、この部屋で彼女のバージンを奪うのはダメだ、とか・・・
実を言うと、私は同じような状況を18歳の時点で過去に2回も経験していました。そのうちの1回は信じられないくらい可愛い子でしたが「バージンをあげる」と言われた私は本能的に引いてしまったのです。
結局ですが、ここが私の弱いところなのでしょう。この時も同様に彼女に対して、その希望を果たしてあげることができませんでした。
少女のプライドを守れなかったという側面と、これで良かったと思う側面、自分の欲を満たす機会を逃したという側面、若かったのでいろんな感情が激しくぶつかり合いました。
今だから青二才の青春話として美しい思い出話ですが、実名を挙げて公開しているので、いつか彼女がこのブログで私を見つけてくれることを祈っています。
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