むやみに老人をいたわらない
老人をいたわることについて、賛否両論があるかもしれませんが私の考えを伝えます。結論からお話すると「老人をいたわるのは、ほどほどでいい」ということ。その理由は・・・?
若い時にバリバリ働いていた年配の方、特に男性の方は仕事を退職すると自由になります。何十年も勤め上げた会社から離れ「自由の身」となる。もしかしたら夢みていた老後の自由時間かもしれませんが、役割を終えた彼らが「自由の身」を楽しめるのはどれくらいの期間なのか?
私はまだまだ働き盛りなので、想像でしかお話することができませんが「自由の身」が楽しめるのは長くてもせいぜい1年位が限界のような気がする。
退職をして「自由の身」になったもの、毎日誰にも頼られず、世間との関りが遮断され、自分の仕事の責任から解放される。男性は特にこんなに淋しいことはないのではないか。誰の役にも立たず、自分の存在価値を確認する手段は過去を振り返ることだけ。
お金が豊富にあれば思う存分老後を楽しめるかもしれませんが、年金暮らしなど限られた予算で生活をしている場合は特にそう。毎日釣りに行ったり、朝からお酒を飲めたとしても、最初の数か月くらいは面白いかもしれませんが、そんな生活は直ぐに飽きてしまう。
人間の存在価値って、誰かの役に立ってナンボだと思うんです。誰かに喜ばれたり、誰かと一緒に汗を流したり、感情を共有したり。
特に男性の場合、どんなに素晴らしい奥さんが居たとしても、世間の一員として役に立っている実感がないと生活に物足りなさを感じるのではないでしょうか?
これが私が考える「老人をいたわるのは、ほどほどでいい」という理由。
老人に「何もしないで座ってて」とか「無理しないで家に居て」と言うのはボケを促進するようなものだと思うんです。何か役割を与えたり、毎日責任をもって何かを科した方がよっぽど生活に張り合いを持ってもらえるのではないか?と。
話はそれますが、先日私が久しぶりに電車に乗った時のこと。70代後半くらいの女性が私と同じ車両に乗り合わせました。電車が発車すると非常に揺れて、私は何かに捕まらないと立っていることができません。しかし、その70代後半の女性は吊革に捕まるどころか、体のバランスが全く崩れない。2本の足でしっかりと立って、どんなに電車が揺れてもバランスよく立ってるんです。
その時私は「この人は見た目が年配だからといって、席を譲るのは失礼だな」と感じました。偶然にも誰も席を譲りませんでしたが、仮にもし誰かが席を譲ったとしても彼女は断ったのではないか?と思います。
もちろん、年配の方を敬う気持ちは大切ですが、意味もなく仕事を奪ったり、何も役目を与えないのはかえって老人をダメにしてしまう。電車内で老人だからと言う理由で無条件に席を譲るのも、ちょっと考えなおす余地があると感じた出来事です。
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