連想ゲーム
今日はお金の話をします。
生まれも育ちもお金から解放されたことのない生活を長年続けてきた私にとって、自分が裕福な姿を想像することは至難の業でした。しかもお金のことは学校や会社で教えてもらうことは絶対にできません。ましてやお金に困っていた家庭に育った子供が親からお金について学ぶ機会など皆無です。せいぜい昭和世代の親が子供に伝えられることは、良い学歴があれば大きな会社に就職できて一生安泰ということぐらい・・・でもこのご時世、それは幻想にすぎません。
私はこの歳になって、ようやくお金について自分で学べる機会に巡り合いました。それは良書からでありYouTubeに出てくる本物のお金持ちからです。ありがたいことに世の中にはお金落ちが書き下ろした良書が沢山あり、YouTubeも同様でお金持ちがお金についての向き合い方を語った動画があふれています。お金のことを学ぶには実際にお金を稼いだ人から学ぶのが一番間違いない。だってその人はお金について沢山学んできたから、人よりも金をもっているのだから。
逆説的に言うと、お金のない人がお金持ちになる方法を話せるわけがないのです。だって、その人はお金を実際に持ってないのですから・・・ピアノを弾けない人が他人にピアノを教えてあげることができないのと同じです。
私はタイミング的にはかなり遅い方ですが、ここにきて真剣にお金と向き合う機会を得ました。そして知ったことは、お金持ちになった人が共通して語っていることは、ほとんどが普通の人はバカバカしくてやらないようなシンプルなことばかり。プラス、リスクを積極的に取り勝負に出る勇気がある人であり、最後に失敗してもそこから立ち上がっているということ。
またある人は育った家庭環境で植え付けられたお金のコンプレックスから抜け出せず、自分がお金を持っていることが想像できずに悩んでいたそうです。そんな時に貯金を下ろして財布に沢山お金を入れて持ち歩いてみたそうです。実は私もまったく同じコンプレックスがあり、その方の言っていることを真似してみました。お金を持っているということは一体どうゆうことなのか?を知るための実験です。なんてバカバカしいんでしょう?!
そして福沢諭吉をじっくり眺め、自分の持っている二つ折りの財布パンパンにお札を詰め込んでみたのです。財布のふくらみ、札束の感触、厚み、お金を持ったリッチな自分の気持ちを俯瞰的に観察しました。多分このブログを読んでいる人には気を悪くする方もいるでしょうが、私には必要な行為でした。
キャッシュレス時代に財布をパンパンにしている金持ちなど現実的ではありませんが、自分にとっては面白い連想ゲームでした。自己イメージを上げるにはもってこいの方法でしたが、やはり貧乏性なので怖くて直ぐ銀行に戻しました。(スーパーでお金を出す時に店員さんにびっくりされましたし・・・)
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