努力をしない
よく最近「頑張らなくていい」とか「努力は不要」などの説を唱える人が増えました。
流れに身を任せて生きるということです。
で、それを勘違いして毎日何もしないで酒ばっかり飲んでしまえば知能指数を疑われるよね。
では「頑張らなくてもいい」というのは、一体どのような意味なのか?
それを説明するには、野原に咲いている花を想像するのがいい。
その野生に咲き誇る名も無い「花」は努力して地面から這い上がってきたのだろうか?他の雑草を蹴落として自分がマウントを取れるように根回しをして、一生懸命に頑張ったのだろうか?
恐らくその野生の「花」が種だった頃、既に存在している太陽の光を受け、既に存在している大地から沢山の栄養を吸収し、空の恵みからは雨となった水分を飲みこんだ。
そして次第に成長をするにつれ、土から芽を出し、すくすくと育ち大きくなったハズ。
つぼみから開花する自分の色は、他の種類の花とは違う。皆と同じである必要さえない。コスモスとして生まれてきた花は、私は将来はバラになりたい・・・なんて絶対に言わない。
コスモスはコスモスのままで美しく、バラはバラ独自の輝きを放っていればそれでいい。
「頑張らない」とか「努力しなくてOK」って、そういうこと。
あなたは、あなたが生まれ持った、そのままの姿で十分イケてる。
そして忘れちゃいけないのが、私達は生まれた時点で既に生きて行くだけの充分な恵みを受けているということ。そう、生まれたもん勝ちさ。
不満に目を向ければ、そこに思考が働くけど。
でも、今現実に起きている「生きている」という奇跡に目を向ければ、そこには幸せしかない。
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