2021-02-08

上からの景色

背の低い方と、背の高い方では身長差があるために見えている景色が違います。幼い子供が見ている景色と、その親が見ている景色では純粋に背が高い親の方がより多くのモノが見える。

より多くを見渡せることで危険を察知したり、もっと景観の良いところを見つけ出したり、自分の目線よりも下の世界で何が起きているかを把握できるということ。

登山もその良い例でしょう。地上から山に向かっていく途中は、自分がどこにいるかを把握するのに精一杯ですが、登れば登るほど、それまでにたどってきた道を振りかえり「さっきまではあの辺りにいたんだ」と確認することができる。下から上の様子を見渡すことはできませんが、上から下の様子は見渡せるわけです。

日本人は習慣的に初対面で年齢を聞き出して、その人の人間的なレベルを見極めようとする方が多いようです。最近は減りましたが年功序列社会だった1世代前は、歳が1つ違うだけで完全に先輩後輩の区分けがありました。この物差しは16歳で社会に出た自分にとって、全くバカバカしい基準だと思ってました。

本来人間の価値は「魂の成長レベル」で測るべきです。この基準は数値化できないので非常にあいまい。魂レベルで30歳と45歳を比較したら45歳の勝ち、というわけにはいきません。「魂の成長」は経過年数ではなく、容量密度の濃さが全てです。

そして、もう一つだけ確かなことがあります。それは魂レベルが上の人から見える景色は、下のよりも遥かに多くが見えているということ。逆に言うと、下から上の様子を見ることはできない。

人間的なレベルは、魂の成長レベルに応じて、それぞれ見えている景色が違います。そこには、ただ年数を重ねただけの数字とかシワの本数は関係がない。

物事の価値が変わりつつある「風の時代」に突入した今、人間的な価値の見極めもあらためて見直す必要があると思います。


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