誰もがスピリチュアル
昨日は興味半分であるオンラインセミナーに参加しました。いわゆるスピリチュアル系のセミナーでしたが、無料なのでどのような内容か興味があったからです。
「スピリチュアル系」って聞くと、なんか怪しくないですか?私も最初は怪しいと思いました。
で、実際にセミナー講師のお話を聞いていると、本当に怪しかった!(笑)
このセミナーが無料で公開されていたのは、次の有料セミナーに案内するための販促活動だったんです。
もちろん、本人や関係者たちはこの活動を通じて生計を立てていますし、罪の意識も無いでしょう。そこを言及する気はサラサラありませんし、このセミナーに感動して、次の有料セミナーに参加するのは個人の自由です。
私自身も自信を持ってスピリチュアルに生きていますし、宇宙に自分の創造性を問うスピリチュアル的な行為は素晴らしい事だと断言できる。ただ、そのやり方を習得するために高いお金を払う必要性は感じません。
だって人間は気が付いていないだけで一人残らず、誰もがスピリチュアルな存在。そこに目を向けて生きて行くか、目を向けないで生きて行くかは個人の自由。
人間は、自分にとって興味のないものは視界に入っても情報として受け取らず、自分が意識している情報が自然と目に飛び込んでくる「カラーバス効果」という心理的作用があります。
普段の生活の中で、自分のことをスピリチュアルな存在として意識していれば、自然とそのような状況が身の回りに自然と起きていることを実感できる。
時空を超えたシンクロニシティ、引き寄せ、テレパシー、虫の予感などは誰もが既に体験していることで、珍しいことではない。
「会いたいな」と思ってた人に会えたり(逆に会いたくないと思った人に会ったり)、「この場面、前に夢で見た」とか、「なんか今日は乗り気じゃない」とか、そういった日常生活に起きている感覚は、全て人間のスピリチュアル的な本能から生じている感覚。そこに目を向ければ向けるほど、より深い体験が出来るようになる。
私のように誰からもスピリチュアル的な学びを受けていなくても、肌感覚で理解できる。だから、そのために高い授業料を支払う必要性を感じない。もし、本気で学びたいと思うなら図書館に行けばいくらでも専門書籍を読みあさることができる。ヘタしたら今の時代ならYouTubeで無料で教えてくれる人も存在する。
何が言いたいかと言うと「スピリチュアル」とか「宗教」とか「ヒーリング」などはビジネスにした時点で取り扱いが難しくなってしまうってこと。
元々が誰にでも平等に与えられているものだけに、それを使って高額な請求をしようとした途端に怪しいモノへと変貌する・・・そんな気がしてたまりません。
もちろん、お金を払ってスピリチュアル系のセミナーを喜んで受けている人はそれで幸せでしょうし、宗教団体に沢山の献金をしている人も同様に、その人が幸せの価値を見出していれば問題ありません。
ただ、自分だったらその気持ちを「寄付」という形で差し出すことが出来れば、怪しさから解放されて、もう少し気が楽になるかな。
でも、寄付という肩書では「スピリチュアル」とか「宗教」とか「ヒーリング」などのビジネスが成り立たなくなるのでしょうね。
人間は誰もがスピリチュアルな存在。目を覚ませばわかります。
コメントを残す