2020-06-16

この再会は偶然?

本当に便利な時代になりました。今日は昔の知り合いに久しぶりにコンタクトが取れて嬉しかったお話をさせてください。

私が17歳の頃にNew Yorkのマンハッタンへ渡ったことは以前より紹介してきましたが、当時はインターネットが無かったので、その時代の知り合いと再びつながることは至難の業です。

フルネームを一字一句間違えないで覚えていれば、フェイスブックなどで調べられるのでしょうが何故か正確に思い出せなかったり、そもそも日本に住んでいるのか、もしかしたら死んでしまったかもしれない。

そんな時に偶然、古い荷物の中から昔の資料を見ていると続々と出てきました。昔の知り合いの電話番号が殴り書きされた手帳やメモなどが。しかし残念なことにファーストネームだけだったり、ニックネームだったり・・・これでは捜索のしようがない。

話は飛び、私はニューヨークに住んでいた時にウォールストリートの近くにあったミタレストランという日本食のレストランで働いていたのですが、そこには日本から移住し、マンハッタンでジャズプレイヤーを目指すミュージシャンの方が沢山働いていました。1日5時間くらいの労働で20ドルから40ドルくらいの賃金、当時としてはありがたいバスボーイの仕事でした。(お客さんが食べ終わった皿を片付ける仕事)

そこで知り合ったミュージシャンたちのファーストネームは以前より憶えていたのですが、名字が分からず探し出せずにいたところ、何故か出てきた告知フライヤー。

彼こそミタレストランで一緒にバスボーイとして働いていたジャズミュージシャン。こんなモノ、なぜ大切に保管しておいたのでしょう?今から30年前、恐らく1991年くらいにニューヨーク市内で行われたライブの告知で、確かこのライブを見に行った記憶が薄っすら残っています。

そしてフライヤーには「Takaya Fukuhara」とフルネームが記載されており、早速フェイスブックで調べ連絡を取ってみました!すると返信があり、まだミュージシャンとしての活動はされているようで、ほっこり。

Takayaさんは当時、毎日トランペットの練習に明け暮れ、アメリカのバークレー音楽院を卒業された方で、当時はとても才能豊かなトッランペッターだと尊敬しておりました。(本人はそう思っていないようでしたが・・・)以下、動画でトランペットを吹いているのが、ご本人です。

ニューヨーク時代の友達には、まだ全然連絡が取れない人がたくさんおりますが、死ぬまでにもう一度でいいので直接会ってお話をしてみたい。そんなことを感じました。


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