2021-11-13

お祖母ちゃんの温かさ

私は北海道旭川市の生まれです。物心がつくまでは祖母に育てられました。

祖母は数年前に向こうの世界へ行きましたが、生前はとても優しい人間で敬虔なクリスチャンでした。子供の私に対して一度も怒ったことがなく叱られた記憶がありません

あまり言いにくいですが、もう時効なので言ってしまうと、私の子供時代は本当にやんちゃで小学校2年の頃には手の付けられないほどでした。何度も私が悪さを繰り返するので、担任の先生が責任を取って学校を去ってしまったこともあります。具体的にどんな悪さをしたかは秘密にしておきますが、暴露出来ることがあるとすれば、小学校4年生の時に初めて家出をしたこと。

ある日の夕方、旭川から汽車に無銭乗車をして札幌へ行きました。見たことのない世界にドキドキして心が高鳴ったのを今でも鮮明に思い出します。

札幌ではお腹が減って適当な家の玄関を叩き「ボクには親がいないんです。お腹がすいたのでご飯を食べさせてください」というと、その家にいた老夫婦は温かく迎え入れてくれ、ご飯とお味噌汁を作ってくれました。そのご飯の味と言ったら世界の何よりも美味しい食べ物で、むさぶるように夢中で食べました。そしてご飯を食べた直後、家に警察が来て保護されるという始末。

田舎の汽車(北海道では電車のことを汽車という)は早い時間に終わってしまうので、その日は警察の牢屋みたいなところへ連れて行かれ休んでいると、真夜中にお祖母ちゃんが迎えに来てくれました。

お祖母ちゃんはわたしに何も言わず、ましてや怒ることもありません。大人になって聞いた話ですが、わたしの両親がいないことで、少しでも優しくしてあげたかったと聞きました。

子供とは言え過ちを犯しても叱りつけないことが良いことなのか?それはわかりません。その代わり人生の教訓は毎週末の教会学校で神父様が厳しく教えを施してくれました。祖母はそれで十分だと考えていたに違いありません。

この世を去った親しい家族や友達などは、時間のある時に魂に向けて語りかけてあげると喜ぶらしいです。私も頻繁に「お祖母ちゃん、元気かい?」と語りかけます。祖母は昔、幼い私ををオンブしながら和着物のセールスをしていました。温かった背中を今でも思い出します。

お祖母ちゃんの背中の居心地が良過ぎてオンブされるとすぐに眠りに落ちてしまう幼い男の子。あの場所以上に居心地の良い場所は今だどこを探しても見つけられません


※2015年の写真。この数ヶ月後に他界しました


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