2022-03-13

縁起が決める

私は普段からあまり落ち込まないのですが、昨日は仕事で心を刺されるような痛々しい事件が起きてしまい、久しぶりに落ち込んでみようか・・という流れになりました。

詳しくは語りませんが、これまで準備してきたことが全て無駄になってしまうような悲しい参事で、悪く考え出すとどこまでも落ち込むことが出来る。自分にとって乗り越えられるか?という危機的なレベルです。

そこで正気を取り戻すために夜の散歩へ出かけることに。「よし、今日は好きなだけ金を使って気を紛らわそう」と思ったのですが、そういえばマンボーでどこも店がやってないじゃないか!

そこで深夜営業をしているスーパーに入ったのですが、物欲も食欲も無い私が欲しいモノなど見つけることが出来なく・・・そんな時

あった!

旨そうなサバが割引なっている。まあ、割引じゃなくても買おうと思ったのですが、実際に手に取ってみると・・・

なんと、割高になっている!元222円の魚が20パーセントオフで464円に。さすがに買いませんでしたけど。

そんな、こんなしている内に「あれ、何に悩んでいたんだっけ?」と思い出しながらスーパーを出たんです。まあ、人生は思い通りに行かない事の連続なので、上手くモノゴトが運んだ時に「嬉しい」とか「喜び」という感情が沸くので、今回起きた問題も何かの縁かな?と考えたんです。

夜、ベッドに入っても寝つけなかったので、偶然YouTubeのお勧めに表示された小林正観さんのお話を聞くことにしました。ここからが驚きの展開になります。

彼の話では「釈迦の悟り」についてお話をされていて、以下ザックリとまとめた内容

人間の人生は全てが自分以外の存在(例えば人、コト、モノ、現象など)によって組み立てられているが故に、自分の意志によって人生が作られることは全くない。自分の想いだけで人生が作れると考える人は苦悩を伴うことになる

というもの。

印象的だったのは、ここで言う「自分以外の存在」を「縁起」という言葉に置き換えて表現していました。

正に仏教的な考え方ですが、この「縁起」こそがその人の人生を形成していると断言しているから開いた口が塞がらなくなった。苦悩の根源は、その人の「想い」がすべて。起きた出来事に対して大泣きして酒浸りになるのも人生、ケロッと立ち直ってサッサと新しいことに目を向けるのも本人次第。

今自分に起きていること自体に「良い」とか「悪い」という価値は無くて、全ては自分の受け止め方次第。自分がつらいと考えればつらいし、別に大した問題ではないと考えれば、そうも受け止められる。

そこで起きている現象自体はゼロで、どうとらえるかは自分次第。

そのお話を聞いて、自分の中で今回の問題が腑に落ちた瞬間、心がどれだけ軽くなったことか・・・

その後は、おかげでゆっくり眠りにつくことができました。


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