教育者たるもの
大人になること、というのは精神的に穏やかになることのようです。私はまだまだ感情の赴くままに流されているので、大人には成長していない。すぐにカッとなりますし、カチンときたら怒ってしまいます。
元々、大人の意味は「おとなしい」とか「音無し」のことだと言われています。つまり怒ったり、怒鳴ったりしないで穏やかであること。
昭和の時代、学校の先生は生徒に平気で暴力を振るいました。先生を怒らせると、よく殴られたものです。生徒が先生の言うことを聞かないときは殴ることで黙らせることができました。私は殴られる側だったのでハッキリいいますが、暴力で物事が解決できたことはなかったと思い返します。殴って一時的に黙らせることができても、不満はずっと残り続けます。先ほどの理論から説くと、このやり方は大人としていかがなものでしょうか?
もっと始末が悪いのは、殴られて育った子供が大人になった時に、同じようなやり方で後進を教育してしまいかねないこと。まさに負の連鎖で良いことはひとつもありません。
日本の教育は、まだ平均点を重視した兵隊がヨシとされる風潮が残っています。個性が尊重されず、見た目を統一しようと校則や制服で縛り付け、それは社会に出ても何の疑いもなく習慣化され、出る釘は打たれてしまう。
それを痛感したのは17歳でニューヨークの高校に入った時のこと。個人を尊重し、他人に干渉しないという現実を肌で感じ、カルチャーショックで、その事実を直視できませんでした。
日本の教育が世界的に落ちぶれてきたのは、大人であるはずの教育者が大人に成り切れてないことに問題がある気がするんです。子供を叱り、子供を他人と比べ、先生の言うことを聞かない子はダメな子としてレッテルを貼られる。昭和の時代は皆が平均点を取ることで世界的にお利口な民族を形成できましたが、これからは違う。
ゲームが好きな子は勉強する時間をゲームに没頭し専門家を目指せばいいし、歌が上手くなりたければ若いうちから海外に出て本場のプロの指導を受けた方がいい。もちろん、勉強が好きな子は勉強をやらせればいいんです。宿題を忘れたからと言って、勉強嫌いな子を廊下に立たせたりする必要はないんです。
まあ、この意見は私の持論ですから絶対に正しいという事はありませんが・・・とりあえず私の意見も個性という事で、大人のあなたは叱らないでくださいね。
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