許すことの意味
絶対に許せないヤツっていますよね。私にもいますし、あなたにもきっといるでしょう
私もずっと根に持って許せなかった野郎がいました。私が許せなかった相手は、私の娘のことを彼の権力で支配していた学生時代の部活の顧問です。もう随分と前のことだから、正直どうでもいいんです。でも思い出すと腹が立って許せない。
当時の私は本当に腹が立って、こいつを今ぶん殴ってやればどれだけスッキリするか?という瀬戸際まで追い込まれていました。もちろん、ぶん殴ることはしませんでしたが、それほどの怒りや憎しみが込みで頭の中が一杯だった。
あれほど人を憎んだことはありませんが、今は自分が成長したおかげで、どうでもいいことに思えるようになった。というか、私がヤツを憎んだところで彼は私から憎まれていることを想像すらしていないし、なんなら私の存在すら忘れているだろう。
結局なんですけど、彼のことを憎むことも愛することも、同じだけ彼への思いを募らせていることになる。愛と憎しみは微々たる誤差。彼のことを考えている時間は同じなんです。ヤツのことをずっと時間をかけて考える行為は、まるで恋人同然の関係性です。
だから「人を許す」という行為は結局自分のために下す判断。自分が執着を捨てて楽になるための手段なんです。ヤツを許すことで自分が解放される。
自分がラクに生きるために人を許す。とっととくだらない因縁は捨てて、前を向いて歩く。それは最終的に自分の幸せを願って、自分のために尽くすことなんです。
だからね「あいつムカつくな」思っても、それでゲームオーバーにすること。それ以上は引きずらない。引きずったらあなたの負け。
人を憎む時・・・それは時として、この世の中に起きてほしくないような信じられない出来事であなたは打ち砕かれるかもしれない。でもね、やっぱり人を憎むことで自分自身が解放されることはない。憎しみは新たな憎しみを生むだけ。
最終的な問題解決は憎むことではなく、許すこと。それはあなた自身を開放する唯一の手段なんです。
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