あたりまえ
今日も当たり前のように朝6時に目覚めました。朝の太陽はチカラ強く私の顔面に向けて光を降り注ぎ、ベッドで寝ぼけている私を叩き起こしてくれる。で、窓を開けると気持ちいい風が「待ってました」と言わんばかりに部屋へなだれ込む。最高だ!
何気ない朝のひととき。自分は当たり前のように朝目覚めることが出来たけど、世の中には今朝目覚めなかった人もいる。
朝目覚めないでそのまま死んじゃうのは、悪い死に方ではない。交通事故とか戦死とか殺人よりはずっとマシかもしれない。
あと、太陽の眩しさを感じ取れることも当たり前じゃない。世の中には生まれてから一度も太陽を見たことの無い人が沢山いる。目の見えない人は死ぬまでに一度だけでもいいから、一瞬だけでもいいから、1秒だけでもいいから母親の顔が見てみたいと言う。1秒だけでもいいから愛する人がどんな姿なのか?見てみたいという。
ボクたちは毎日当たり前のように愛する人の顔を見れるし、つまらないテレビだって見れる。
聞きたい時に愛する人の声も聞ける。心をいやす音楽も聴ける。つまならい上司のオヤジギャグも苦笑しながら聞こえてくる。
耳を澄ませば聞こえてくる聴覚は誰もが備わっていると思ったら大間違い。日本には約34万人もの人々が聴覚障害や難聴で苦しんでいる。自分だったら耐え難いけど、そんな人生を勇敢に生きている人が今この瞬間にも国内だけで34万人もいるなんて、信じられない。
そう考えると、日々の当たり前がいかに奇跡的なことの連続か?今この瞬間に生きていることの奇跡、今ここで仲間と笑っていることの奇跡、今恋人と肌寄せ合っていることの奇跡、家族と食事をしながら味付けの薄い味噌汁に物足りなさを感じていることの幸せ、反抗期の娘に「くそオヤジ」と言われていることだって喜びに変わる。
今こうやって生きているだけで奇跡。命さえあれば、他の小さいことはどうってことはないんじゃないか?「死ぬこと以外かすり傷」って箕輪さんも本を書いているけど、その通り。
失業しても、事業で失敗しても、女にふられても、高い酒をこぼしても、変な性病に感染しても、会社のプレゼンで恥をかいても、多額の借金返済に追われても、バカなストーカーに付きまとわれても「命」さえ奪われることがなければ何とかなる。生きてさえいれば、その内良いことがある。
明日の朝も目覚めて、当たり前のように一日を過ごすけど、生きているこの瞬間が奇跡だということをオレたちは忘れちゃいけないぜ。
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