わたしは飛び降りません
「清水の舞台から飛び降りる」という表現があります。
この表現は大きな決断をする時や勇気を出して行動をする際に用いられますね。しかしながら、私自身は清水寺の舞台を見たことがないので、どのような状況を差しているのか?本当のところはわからない。
そこで実際に行ってみることを決意、京都の清水寺に!
この目で確かめて、どんな場所か確認できれば、この表現が私のボキャブラリー集からヘヴィーローテーションされるかもしれない。一体どんなに恐ろしいところなのか?
聞くところによると、清水寺は観光名所なので、日本人の誰もが一度は修学旅行なので訪れる場所とのこと。私は学生の頃はアメリカに住んでいたし、ろくに京都を観光したことすらない。
あさイチで京都市内から車を飛ばし現場に到着。お寺なのに入場料払うんだ~と思いながらも中へ入ると、そこには修学旅行で観光をしていると思われる一行がぞろぞろ。なるほど~、こんな感じなんだ。
私はあたりを見向きもせず、入り口から目的の場所へ一直線。「清水寺の舞台」と呼ばれる場所はどれほど恐怖を覚える名所なのか?
修学旅行生をかき分け、その学生に対してお話をしているガイドさんに耳を傾けながら、何気に歴史のお勉強に参加。清水の舞台は高さはおよそ13m。4階建てのビルの高さに相当するらしい。江戸時代には沢山の人がここから飛び降りたとのこと。
あれよあれよと散策している間に、ようやく舞台にたどり着くことが出来た!「おおっ、ここが噂の舞台か」と興奮気味のわたし。そこから下を見下ろすと・・・・
もともと高所恐怖症でもあるので、こんなところに立っていること自体デンジャーに感じる。もしかするとオシッコが3滴くらい漏れたかもしれない・・・パンツの替えはないぞ。
更に追い打ちをかけるように恐怖心を煽るのは、この突き出た舞台の床が若干斜めになっていること。脳神経のバランス感覚がマヒして不安定感バッチリだ。
周りを見渡すと学生がギッシリ。こんなに舞台に人が乗って、重さで崩れたらどうしよう・・・と頭をよぎる。
盗み聞きをしていたガイドさんが「あの方向から、この舞台を見ると更にどれだけの高さか分かるよ」と言っているのを聞き、早速「あの方向」へ足を運んだ。
ガイドさんの話は本当だった!
キャー、死ぬほど高いやん。というか、人間が恐怖を感じるちょうどいい高さと表現する方がしっくりくる。あきらめのつかない高さとでも言おうか?
これで悟りました。「清水の舞台から飛び降りる」の意味を。この言葉が意味するのは「覚悟がただ事ではない」ということ。
危うくも私のボキャブラリー集からヘヴィーローテーションの予定でしたが、自分は「清水の舞台」から飛び降りるのは不可能なので、永遠に使えない言葉だということを悟りました。
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