日本にDJが定着しない理由
DJ文化が日本に定着しない理由を考えてみました。
まずはDJの話の前に、音楽を大きな音で聞く文化について。日本は同調圧力に従い、常に周囲に気を使う傾向がある点。電車でヘッドフォンからチキチキと音が漏れているのを皆さん異常なほど嫌います。それだけで不快に感じる方が多い。
私がアメリカへ行って一番最初に驚いたことは、道路を走っている車から聞こえる爆音の音楽。しかも1台や2台じゃない。そこらじゅうの車から爆音で音楽が聞こえてくる。これは一体何を意味しているのか?
私が察するに運転手の気持ちはこう
・オレが聞いているイケてる音楽をおまえにも聞かせてやる
・オレのカーオーディオのシステム最高だろ
・この曲、好き過ぎてついボリュームが上がっちゃう
こんな心情じゃないかと。
わたしが遭遇した80年代後半のニューヨークでは、バカでかいラジカセを肩に乗せ、地下鉄内で信じられないほどの爆音でパブリックエナミーというRAPグループを聞いている若者が沢山いました。もうこれは、ヘッドフォンからチキチキ音漏れしているレベルではない。
でも、その現場に居合わせた10代の自分が感じたのは「こいつら最高だな・・」ということ。
ラジカセを担いでいる若者も若干の悪気はあるのが見て取れるのですが、それでも音楽を通じて自分をアピールしたい。「オレは最新のイケてる音楽を聞いている」ということを。これが許される文化なんです。恐らく東京の地下鉄で同じことをやったら、警察に連行されるのは間違いありません。
まあ、これは大げさな例え話ですが、それくらい音楽と個人の関係が密接という証拠。アメリカのパーティーは最高にイケてる音楽がないと、そのパーティーを主催したヤツがダサいと思われてしまう。そのためにわざわざ腕利きのDJを呼ぶ。
つまりパーティー文化の最高峰地では以下の計算式が成り立つ。
パーティー=イケてる音楽+集客
これに尽きます。これはニューヨークだけじゃなくてインドもフィリピンもブラジルもエジプトだって同じ、世界共通の方程式。
面白いことに、子供の誕生日は親同士で競い合い、どれだけド派手な誕生日パーティーができるか?そんな戦いも日常茶飯事。私自身、8歳の女の子のパーティーにDJで呼ばれた経験がありますから。16歳の誕生日では女の子がSweet16というパーティーをやるので、それは理解できますが、8歳って何やねん?!って感じ。
そのようにDJ自体の需要と価値が日本と比較にならない。DJという職業が成り立つことが理解できます。
一方、日本でDJ文化が定着しないのはナイトクラブ以外にDJの仕事がないことが理由。日本のナイトクラブのギャラでは全然生活していけませんし、そもそも人々がそこまで音楽を生活の一部として重要視していない。私達の生活の中で音楽の存在はオマケみたいなもの、またはそれ以下というのが現状でしょう。
設立から13年、全国へ出張するDJ業を選択したソウルピーナッツという私の会社。「DJを職業に」をライフワークとしてコツコツ続け、DJの価値と音楽がもたらす生命力をお届けできるよう継続します。
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