Disco DJ
私は公式に年齢を明かしておりませんが、隠しているわけではなく気にしたくないだけ、というのをお伝えしておきましょう。特に日本人は年齢から話を始める方が多く、実際に自分よりどれくらい年齢が離れているかによって、その人の価値を判断する物差しに使う方も多いようです。
ここからが今日のお話ですが(笑)私がディスコ・ミュージックに出会ったのはほとんどオンタイムで(ここで年齢がバレルので言いたくなかった)小学校に入るか入らないかくらいの時期にアース・ウィンド・アンド・ファイアーが大ヒットしておりました。当時、私の親戚の叔父さんがレコードショップでアルバイトをしていたこともあり、カセットテープで流行のディスコ・ソングをたくさん聞かせてくれました。まさか自分がその時の音楽を今こうしてプレイし、私よりも更に上の年代の方々を躍らせるとは思いもしませんでしたが・・・
ディスコ・ミュージックというのは、60年代のソウルやファンクから枝分かれし、70年代に全盛期を迎え流行っていた時代が広範囲に及びます。80年代の日本は世界でも類を見ないほど独自のディスコ文化を築きましたので、当時の方々の音楽に対する熱量は半端じゃないと今でも感じます。ちょうど今50才~65才くらいの方は当時のディスコを経験しているので、お客さんとしても最高ですし、自ら楽しむことを知っている感性がリッチな世代だと感じます。
私は12歳で本格的に音楽を始めてから、特にアメリカの音楽に特化し1930年代ころまでさかのぼり、音楽の歴史について独学で学んできました。音楽はいつの時代も、その時代の背景に強く影響を受けます。歴史の短いアメリカの音楽が急発展したのは世界中から移民が集まり、文化がぶつかり合い、激しい時代をものすごい速さで突っ走った結果。単一文化の日本とは対照的で、長く独自の文化を営んできた日本とは根本的に芸術の発展方向が違います。
黒人音楽のソウルやファンクから生まれ、進化したディスコ・ミュージックはポップでわかりやすく商品として音楽産業を潤すことになりました。その人気は人々を釘付けにし、一方で今まで全く関係の無かったロックミュージシャンまでもがディスコ調の曲をリリースするなど、完全にビジネスになった結果、80年代には崩壊の一途をたどっていきます。ここで日本はユーロビートが参入してくるのですが、それは世界的なディスコサウンドとは一線を画した独自のはマハラジャサウンドとなって発展を遂げました。その世代がバブルを経験した50歳オーバーの方々。一番おいしい音楽の歴史を丸ごと食べ歩いたグルメの年代といえます。
私はいまでこそDisco DJとして会場を沸かせることができますが、実際にその年代にDJをしていた訳ではありません。ただ、その世代の音楽を含め1930年代~2019年現在までの広範囲で音楽の歴史に携わってきました。だから「ディスコ」というくくりで私のフィルターを通して面白ろおかしくリスナーに音楽を提供できますし、ディスコイベントでのDJとしての成功率は100パーセントだと思います。
2020年は北海道から沖縄まで日本全国でディスコイベントを開催するのが目標です。トラックに音響機材、照明機材を積んであなたの街へ出張します。