いい人をやめる
昨年やめたことのひとつに「いい人になること」があります。いい人をやめる?どういうことでしょうか?
それは人付き合いが良く、仕事もできるだけ完ぺきにこなし、他人に迷惑をかけない人のこと。
残りの自分の人生を満足に生きるために、これらの要素は邪魔になると考えるようになった。
例えば誰とでも人付き合いを良くしようとすると、誘われたら断れず、自分の時間を削ってまで飲みに行ったり顔を出したりすることは自分にとっては意味がない。本当はこれをやりたいのに、誘われたからという理由で顔を出すというのは、誘ってくれた人に申し訳ないと思うから。そんな風に「いい人」になることに何の価値があるのか?自分のやるべきことを犠牲にしてまで「いい人」を演じることに疑問を抱くようになった。
仕事にしても同様。細かいところで言うと、例えばメールが来たら瞬時に返信するというのもやめた。前だったら自分がプライベートで楽しんでいる時間でも問い合わせなどのメールが来たらすぐに中断してメールを返信していた。よく考えたら、それはおかしい。プライベートで楽しんでいる時間は思う存分楽しむべき時間。当時の私は、相手を待たせてはいけない・・・という想いから、すぐに返信をしていたのだけれど、そんな必要はないことに気付いた。
「あの人はメールをしても返信が来ない」くらいに思われてちょうどいい。だって私たちは日々インスタ、メッセンジャー、ライン、emailとあらゆる手段でメッセージが送られてくる。ヘタすると、それに返信することが仕事だって勘違いしそうになる時すらある。メールの返信こそがプライベートや本当にやらなければならない仕事の妨げになる要因であり、返信魔になって「良い子」を装う必要はない。そんな風に考えるようになった。
この世の中で独りで生きていくことが不可能な以上、他人に迷惑をかけないことも不可能。生きているだけで誰かに迷惑をかけるものだし、それは持ちつ持たれつで丁度いい。
要するに特別に「いい人」になる必要性は全くないし、あなたが「いい人」を尽くしていても、相手はそれを求めていないかもしれない。そして相手に「いい人」を求めるのも見当違い。
残りの人生は、もっと好き勝手に生きていく方がいい。そんな結論になったから「いい人になること」をやめた。
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