2022-05-27

愛とは 具体的に

わたしが小さいころ、祖母に連れられて通いだしたカトリックの教会。物心ついた時には毎週日曜日に教会のミサに参加していました。

ミサでは神父が教壇に立ち、聖書の一部を引用し教えを説くのですが、幼い私にとっては退屈だし話している意味は分からないし・・・子供にとっては話が難し過ぎて内容が全然把握できない。しかも神父が日本人だったらまだいいのですが、ドイツなどの海外から布教に来ている方もいて、お世辞にも日本語が上手いとは言えない。

多分、今だったら海外から来ている神父様のお話を聞けるなんて貴重な機会だと思うんですが、その時の自分にはチンプンカンプンを助長する状態。

そんな記憶の中でもわずかながらに覚えているお話がある。私の記憶が確かなら、それは「愛」についてのお話でした。

ミサの中で神父様のお説教時間というのは毎回10分~20分くらいにまとめられていて、その週の新約聖書から引用する福音のパートを読み上げ、それが何を意味しているのかを解いていくんです。その時のお話が誰による福音書からだったかは忘れましたが、神父が解いていく「愛」についてのお話は以下のような内容でした。

愛とは何の見返りも求めずに、その人の為に「自分の時間」を使うこと。

私の小さい時の記憶なので、かなりザックリですが、この言葉は今考えても腑に落ちる。

お金などの見返りを求めて自分の時間を使うことは仕事になりますし、男がカワイイお姉さんの為に自分の時間を使うのは下心になります。しかし、見返りを何一つ求めないで大切な自分の時間を使うのは「愛」から来る初動。

親が子供のために使う労働時間には責任感もありますが、子供に不自由をさせたくないという「想い」、つまり愛があるから。

地球上の人々が与えられた「時間」という価値が同じように、時間を人の為に無条件で差し出す行為こそが「愛」である、と私は解釈しました。

愛とは感情であるとか、愛とはやさしさであるとか・・・抽象的な説明しか聞こえてきませんが、私が小さいころに教わった神父様からの言葉は半世紀近く経った今でも、具体的な言葉として心に残っています。


にほんブログ村 音楽ブログ DJ(クラブ・ディスコ)へ

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください