2023-09-25

問題解決の方法。

私自身は基本的に悩まない性格なのですが、最近は多くの人に悩みや困りごとを相談されたり、聞く機会が増えました。そんな時に思うのですが、人を癒したり人生相談などを仕事にしている人ってスゴイなと思うようになった。

そのような仕事をしている人は、自分と他人をハッキリと分けて考えることが出来る人なのは間違いない。だって、人の悩みを毎回自分のこととして置き換えて捉えてしまうと、心身共に疲れてしまうでしょう。

ただ、人間ってのはよっぽど想像力が豊かじゃない限り、自分の経験値からしか答えを見出せません。相手の問題を自分が過去に経験した問題事と照らし合わせて解決策を見出すことが関の山。相談者と全く同じバックグランドを持っているわけではないので、相手の問題を解決してあげようなんて、そもそも余計なお世話だと感じる。

そんな時は、ただひたすら相談者の話を聞いてあげることが一番の治療薬。余計なアドバイスなんて不要だと思うんです。

それでも、自分の問題を自分自身で解決する時は少し違って、私の場合はある一定の基準を設けています。わたしの場合ですが、その行動基準とは「神様はこの行動をする自分に対し、味方に付いてくれるか?」ということ。

私は特別に熱心な宗教者ではありませんが、この基準は自分の軸になっている。

もしかすると、その基準は自分に都合の良い神様基準かもしれない。

つまり自分自身の良心ということであって、聖書とかコーランに基づいているモノではない。でも、それが一番感覚的にしっくりくる。

例えば仕事が嫌いで自分がラクをするために手を抜くとする。でも、自分が手を抜いたことによって相手に100パーセントの満足を与えられないと分かっていた場合、神様はこう言うハズ「一生懸命にサービスを尽くして相手と喜びの感情を分かち合いなさい」と。

つまりその仕事が嫌いでラクをしても自分が一瞬疲れないだけで誰もハッピーにならない。

人間は相手を幸せすることで自分も幸せになる仕組みにだってことは感覚的に分かっている。それを行動に移す人に神様は味方に付いてくれる。

私の場合、この基準はどんなことにも応用している。

更に踏み込んだ話をすると、自分に問題が起きて行き詰まった時は、あなたに付いているガイダンスに聞いてみることをお勧めする。あなたが気付くかは別として100パーセントの確率で答えが返ってくる。

それは偶然目にする文字だったり、誰かが発した言葉が引っ掛かったり、解決策の状況が思い描けたりと様々な方法で伝えようとしてくれる。信じないかもしれないけど、これは嘘みたいな本当の話。

だから自分の問題を自分で解決することはそこまで難しくはないということ。ひとつは自分の中に問題解決に対しての基準を設ける、それでもダメだったら彼らに聞く。これだけです。


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