Nuts 4 Tracks
Talk about My Life Works

The Memory of Naoto Watanabe (渡辺直人)

先日、旧友の訃報を受けたのですが、私の記憶に深い思い出を残してくれたある人物について記事を書き残したいと思います。有名な人間ではありません。とてつもない功績を残した人間でもありませんが、ボクの中ではヒーローでした。最近までフェイスブックでやりとりをしていたので、どうして彼がそんなに早く自らの命を絶ってしまったのか、全く知るすべがありませんが、少なくとも私の人生を変えてくれた人間として、敬意を表したいと思わずにはいられません。

私は16歳の時に東京に出てきたのですが、中学校を卒業する数年前から大人の方とバンドを組んでいました。当時はデビューすることを夢見る少年で、バンドの生活が全てでしたから、中学校生活は毎日夜中の1時~2時まで練習に明け暮れていました。そんな北海道の片田舎にも楽器屋があり、暇さえあれば通っていた「玉光堂」というお店の店員だった渡辺直人氏(通称ナオさん)。当時ドラムをやっていた小僧のボクに対し、彼もドラマーだったこともあり、とてもよく面倒を見てもらいました。

当時の彼は地元ではドラマーとして有名で、安全地帯のドラマーの田中さんの弟子ということもあり、シーンの中心を握る人間でした。私が中学校1年生の時に確か「円周率」というズバ抜けた実力のバンドをやっており、その姿を見て「彼のようになりたい」と願ったものです。数年後にはドラマーにとって致命的な病気にかかり、ボーカル&ギターへと転向したのですが、その時結成したバンドのドラマーに抜擢されたのが、まさに私でした。中学生でドラムセットが買えなかった私に月1万円のローンで彼のセットを譲ってくれ(元々は安全地帯の田中さんのお古)新聞配達をしながら必死にローンを払ったのを覚えています。

そして私が15歳の時に彼が24歳。他に18歳のメンバーが2人いました。ベルカウントというロック系のバンドで、今考えてもデビューできるほどイケてるバンドだったのですが、18歳の2人が高校卒業を機会に音楽をやめてしまいました。残った彼(ナオ)とボクにも意地がありますから、2人で何週間もかけてレコーディングに集中することにしました。かなりレベルの高い楽曲が収録できたのですが、そのたった1本のデモテープが、後々のボクを助けてくれることになりました。

実は16歳で何の宛てもなく上京した際に、このデモテープを聞いてくれた色々な人達が、才能に興味を示し寝泊まりする場所を提供してくれたのです。上京した際の所持金は1万5千円だけ。東京に来てから3か月間ほどで何人の人に聞かせ、不思議なことに何人の方々が面倒を見てくれたか?まさに3か月間を生き延びたマジックなデモテープでした。今までに何度もこの奇跡を思い出し、笑い話として人に聞かせていた最中でした。

その曲を作ったのはナオさんで歌っていたのもナオさん。現在テープは紛失してしまったのですが、メロディーや歌詞は今でもはっきり覚えています。かなり多才なミュージシャンで、若いころは彼の背中を見て音楽を志したといっても過言ではありません。今の自分が存在する経緯に、彼のポジションが大きく影響するのは間違いないんです。

まだ肌寒い北海道の春先に作った1本のデモテープ。2人だけの思い出が詰まった音楽を思い出しながら、しばらくは彼と費やした時間を思い返すことになりそうです。心よりご冥福をお祈りすると共にたくさんの感謝を捧げたいと思います。「ありがとう、ナオさん!」

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