Hokkaido Man

2月の初頭に思い切って1週間の休みを取り、北海道に帰省しました。おかげさまでゆっくりできたのですが、2月は1年の中でも暇なはずが今回に限ってはそうもいきませんでして、帰ってから非常に大変な思いをしました。とはいえ、まだまだ自分の知らない北海道を堪能することができて興味深い経験もたくさんさせてもらいました。現在は1年に2回ほど北海道に帰っておりますが、それも自分の祖母が95歳を迎え、記憶さえ怪しいもの、元気な姿を見るためであります。

さて、夢は有言実行と言いますが、まずは他人に自分の近々の夢を伝え、やらざるを得ない状態に自分を追い込むのも手かと思います。私は38歳の時に今の仕事で起業しましたが、その決断をするまでに、かなり迷いました。実はもうひとつ挑戦してみたいことがあったのです。それは長年音楽を続けるために生計を立てていた飲食業です。16歳から20代前半にかけて飲食店でのバイト経験を積み、それ以後はしばらく離れておりましたが次に飛び込んだのは33歳の時でした。飲食店をやるために1から修行するつもりで神田のお店で朝から晩まで働きました。(ちなみにこの店です)調理師免許も取り、飲食で生計を立てようと頑張っていたのです。結局のところ、飲食業は音楽の仕事が成功したら絶対に立ち上げようと思い、音楽への道を進んだわけです。そして今、成功はしておりませんが、そろそろ飲食にも手を伸ばす時期が来たかと感じております。今年はやりますよ~有言実行で、さっそく自分を追い込んでみます。

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~今月の仕事の一部を写真で紹介~
横須賀基地最大の空母ロナルドレーガンのパーティー。3会場で1000人を超えるパーティーでした。

 
私が担当した会場はお偉いさんのチーフばかりが参加している会場でした。もちろんきっちり盛上げました。

 
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こちらはカナダ大使館で行われた建国150周年イベント。ゲストで演奏したモンキーマジックのPAを担当しました。

 
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↓こちらはベリーダンスの発表会でステージの袖側で音響を担当した際の写真

 
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↓こちらはお客様が送ってくれた映像からのカット。横浜アリーナにて。遠くに見えるのが私です!

 
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ウエディングでバンドのセッティングからオペレートを担当。特にドラムのセッティングはテンション上がる!

 
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長野の旅館では晴天の中、花嫁道中が久しぶりに行われました。音響はもちろん、交通整理も担当!?

 
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千葉のクラブにて音響と照明機器のシステム設計、工事を担当しました。今月は音響工事が多かった。

 
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この年になって北海道に帰ると、北海道に生まれて本当に良かったと感じます。

I ♡ Hokkaido!!
 
 

Colors

私が17歳の時1988年、アメリカに渡る直前のことですが、本土では「Colors」という映画が上映され全米で問題作とされていました。内容ですがLAに実在するギャングと人種差別について扱ったテーマで、当時としてはタブーとされていた題材に触れ、日本でも注目されていたので映画館へ見に行った記憶があります。映画館を出て、正直ビビリました。これから自分が向かう土地で毎日こんなことが起きているのかと考えると、独りで渡米するのが恐ろしくなりました。渡米した後も映画のトラウマがしばらく消えることはありませんでした。

実際にアメリカに住み、数年間が経ち、周りの環境にもかなり慣れていました。家賃など個人的な経済理由もあり、黒人音楽のルーツを探るためにも91年にニューヨークのハーレムに引っ越しをしました。しかし、その直後のこと。ロドニーキングという黒人男性が白人警察にめった打ちにされたビデオが全米中に流れ、各地で暴動がおこりました。もちろんニューヨークにも飛び火し、街中が怒りのムードで溢れていました。もちろん、知らない黒人は私を見るなり「なんでお前がハーレムにいるんだ?今すぐ出ていけ~」と文句をぶつけました。今と違い、当時のハーレムはかなり荒れていましたから、仕方ありませんが。

今のアメリカは分かりませんが、当時の自分の立場はどちらにも属しておらず、生活をしている中で厳しい環境だと感じていました。白人ではない、もちろん黒人でもない、非スパニック系でもなく、中国人でもない。ほとんどの人種にはコミュニティーが存在し、そこに属していることで当時はある程度守られた生活を営むことが確立されていました。アメリカに住んでいると肌で感じてわかるのですが、私たちの様な第三世界の人種で、しかも経済的に余裕が無い場合は、「人種」という壁により日々ツライ経験をすることがある。

そうなんですよ。ここのところ連日テレビで報道されているアメリカの「人種問題」を聞くと胸が痛くなります。オバマが大統領になっても、昔と何にも変わっていないじゃないですか?当時からこのような問題は日常茶飯事的に起きていましたが、まさか今でも平然と差別がまかり通っていることを考えると、大好きなアメリカが残念に思えて仕方ありません。人を殺しても裁判にすらならないなんて、意味が全くわかりません。根深い人種問題に今後解決の糸口は見えてくるのでしょうか?悲しい問題ですが、「愛」が「憎しみ」に打ち勝つ日は来ないのでしょうか?

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人種問題はありますが、ホリデイシーズン到来により、日々アメリカ人のパーティーにはDJとして携わっております。ここにきて特に「N」ワードには敏感になっています。先日、エンターテイメント部からも厳重な注意が促されました。この日も私がプレイした曲に一言「N」ワードが入っており、急いで曲を変えましたが、手遅れでした。(人が飛んできて注意されました)

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タイ大使公邸にて王室来日の際に音響 & DJをさせていただきました。まさかの環境でした。

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大好きなとがわちずこさんのジャズライブにてJazz DJを担当させていただきました。実はアナログのレコードに、全然慣れていません。デジタル派の現代っ子ですから・・・

 
写真はボーカルのとがわさん、そしてドラムにファイトイッパツの渡辺裕之さんなど。
 

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AyameさんプロデュースのウエディングにてDJを担当させていただきました。授賞式をコンセプトに人間オスカー像も駆けつけました。みんながハッピーな最高のウエディングでした!

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Giri & Ninjou

あらためて人とのつながりを意識した震災から早1年。いまだに多くの方々が日々つらい思いをしながら生活していることを考えると、胸が痛い想いがします。夜の報道番組で見ていたテレビの調査によると、1年前に比べ被災地で生活している方々が希望を捨てずに生きている方、逆に無力感に襲われて何も出来なくなった方の割合が半々となっている・・・・と報じていました。

マザーテレサの言葉で「この世で一番の苦しみは誰からも必要とされず、誰からも愛されていない心の貧しさ」と語ったことを覚えていますが、肉親を失い、それに近い状況に追い込まれた方々が無力感に襲われるのは、自分に起こった出来事として置き換えてみると、よく理解できる気がします。その状況で新たな希望を見出せる方というのは、本当に勇敢な心の持ち主なんだと思えて仕方ありません。

被災地ではない、特に大きなものを失わなかった私たちが一番身近に出来ることは、「被災地日本」という意識をお互いが共有し「毎日一生懸命働くこと」であり、社会人なら自分に与えられた仕事を、主婦なら子育てを、学生なら勉強または目標に向かって一人一人が毎日精いっぱい努めることだと思います。

その小さな積み重ねは自分の周囲に広がり、数年後には巡る巡って日本全体の活気へとつながって行く。日本全体がこのピンチを乗り越えた時、それは素敵な世界が待っていることだと思います。第二次世界大戦の焼け野原から復興し、世界のトップに躍り出た日本人。そしてまた、この危機を乗り越えれば世界のトップに返り咲くのだと信じています。アメリカに住んでいた10代の頃は自分が日本人であることがイヤで仕方なかったのですが、40代になり日本人の素晴らしさを改めて知ることで、自分が日本人であることに心からプライドが持てるようになりました。

勤勉で努力家、義理と人情の国、それが「日本」なんだと信じています。

 

2度目の明日

パーティーを駆け回るDJ にとって、いきなりのスケジュールは珍しくありません。私のところに来るご依頼に関してはドタキャンは今までにほとんど無いのですが、急なお願いは確かに多いと思います。「来週なんですけど、空いてますか?」なんて言うのは日常茶飯事。驚きもしませんし、移動時間などを考慮して「デキル」と思えばGOサインを出します。

そして先週末にご依頼をいただいたお客様に関しては2度目の「明日」となりましたが、1度目は昨年の年末のこと。アメリカ人の男性から「明日DJ に来れないか?」と、その日は電話で何度もやりとり。色々と工面しましたが、結局折り合いがつかず断念。勿論、相手もギリギリのことなので納得してくれます。そして先週2度目の「明日」。私が一番弱いのは相手が困っていること。他に誰も頼める人がいないなどと聞くと、なおさら何とかしたくなる。「ヨッシャ、やったろ!」と思い、周りの理解を得てGO。時間とのプレッシャーに戦いながら両立させようと頑張りましたが、やはり心残りな結果が。盛り上がることを予想していなかったパーティーが盛り上がってしまい、約束の時間が過ぎても帰りにくい雰囲気に・・・そこは「次の予定があるので」とキッパリ言いきって次に向かったワケですが、なんとも心痛い。せっかく一生に一度のウエディング・パーティー、思いっきりゲストを楽しませたかったのですがね。

素敵なカップルの誕生にウルウルしながらも現場を立ち去ったのでした。
 

セレブなゲストが多数集まったウエディング・パーティーでした。
 

パーティーの進行役はこの方、スティーブンさん。面白くて素敵な方です。
 
 
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One and Only Wedding

先日、とても素敵なウエディングのお仕事をいただきました。

丘の上から九十九里浜を一望できる新郎様の別荘地のガーデンにて、この世にたったひとつだけの素敵な結婚式となりました。

事前に下調べにも来て、着々と頭の中で青写真を描きこの日を迎えました。しかしながら、当日になって思わぬハプニングに遭遇。何かとトラブルの多い「音響」という任務を担当する者は、このような想定外の状況に追い込まれた時に、いかに逆境を乗り越えられるかという点に力量が掛かっていると思うのですが、この日の自分は完全に用意不足。

アンペア数を甘く見積もってしまい、過電流で買ったばかりの機材が焼きついてしまったのに気が付いた時は既に時遅く、音が「・・・」と止まってしまった。マイクもビデオもBGMも・・・。慌てて予備で持っていた1chのキーボード・アンプでマイクやCDをつなぎかえるもの、終始バタバタ状態。ご来場者や新郎新婦様に迷惑をかけたと思うと、今までこの仕事をやってきて、ここまで辛い経験は無い。これが反省の意だったのかはわからないのですが、メンタル的に立ち直るまでにその日から2日間も眠れぬ夜を迎えてしまいました。

とは言え、そのパーティーは今までに経験したことのないほど素晴らしいパーティーでして、幸せそうな新婦様の表情、そして新郎の言葉は今でも頭に焼きついています。私自身の結婚式パーティーも友達に祝福され、とても素晴らしかったのですが、もし仮にもう一度ウエディング・パーティーができるなら、絶対マネをしたい・・・と思える、特別なパーティーだったと思います。